金子大栄 「観無量寿経講話」を読んで

金子大栄選集〈第19巻〉観無量寿経講話 (1956年)

金子大栄選集〈第19巻〉観無量寿経講話 (1956年)


昨夜、金子大栄の『観無量寿経講話』を読み終わった。


観無量寿経の全体について、とても丁寧に解説してあった。
眼光紙背に徹して読むとはこのことかと、本当に感動した。


観無量寿経の一文一文にいかに深い意味があるか。
現代人にわかるように、平明に新鮮な表現で、微に入り細を穿つように説かれるこの講話は、本当に稀有なものだと思う。


「自分の身に引き受けて読むこと」の大切さをあらためて教わった。


私は、おそらくこの本を読まなければ、到底観無量寿経の深さをここまで味わうことはできなかったと思う。
この本にめぐりあうことができて良かった。


また、この金子大栄の本を読んでわかるようになったのは、今までに観無量寿経を自分なりに何年もの間に何回か読み、観無量寿経についてある先生から何年かに渡ってちょっとずつ御話をお寺で聴く機会があったからだと思う。
その経験がなければ、到底この本のすごさはわからなかったし、そもそもこの分厚い本を読みこなすことができなかったかもしれない。
すべては本当に無駄ではない、すべてに意味がある、御育てだったのだと思う。


それにしても、以前、ある仏教の団体の方が、「浄土三部経など自分でも書ける」と言っていたことを思い出した。
その時も、なんとも驚いたけれど、今回、この金子大栄の『観無量寿経講話』を読んでいて、その人はなんと愚かで浅はかなんだろうとあらためて悲しく思えた。
字面で浄土三部経を読んで、そんなことを思ったのだろうけれど、いかにその一文一文を深く読むかということを、心で読むということを、できれば生きている間に、この金子大栄の本等から学んで、とても人には書けない本だということをわかって欲しいものである。


私も縁次第ではそのように愚かにも思い上がった人生を歩んだかもしれないところを、不思議な御縁の数々で、今こうして、素晴らしい仏縁に遇えたことが、本当にありがたい。


おそらく観無量寿経の解説本として、最高のものの一つと思う。
時を超えて、多くの人に読み継がれるべき珠玉の本。