今日、キケロの「老年について」を読んだ。
この本は、わりと最近出た新訳で、旧訳は前からうちにあったのだけれどかなり読みづらかったのが、新訳だと格段に読みやすくなっていた。
作中の登場人物のカトーの口を借りて、キケロは、老年が決して世の人が思うような悪いものではなく、いかに素晴らしいものになりうるかを説く。
キケロによれば、年齢の所為と性格の所為は異なる。
そして、
「老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。
生涯にわたって徳が涵養されたなら、長く深く生きた暁に、驚くべき果実をもたらしてくれる。
徳は、その人の末期においてさえ、その人を捨てて去ることはないばかりか ―それが徳の最も重要な意義ではある― 人生を善く生きたという意識と、多くのことを徳をもって行ったという思い出ほど喜ばしいことはないのだから。」
(16頁)
と述べる。
思慮、権威、見識は、むしろ老年にこそ宿りうる。
「熱意と勤勉が持続しさえすれば、老人にも知力はとどまる。」
(27頁)
人生の各部分には、それぞれの時にふさわしい性質が与えられている。
しかし、善い老年を迎えるためには、青年期より基礎が鍛えられ、培われてこそだとも強調する。
「毎日何かを学び加えつつ老いていく」
(31頁)
「病に対する如く、老いと戦わねばならぬ」
(38頁)
つまり、知力の鍛錬や精神の練磨が行われてこそ、老年はすばらしい人生の果実となる。
そのような人生を生きてきた者こそ、生を歎かず、
「無駄に生れてきたと考えずに済むような生き方をしてきたからな」
と言いきれる。
自然に従い、老いに逆らわず、
「在るものを使う、そして何をするにしても体力に応じて行うのがよいのだ。」
(32頁)
また、スターティウスのことばとして引用されている、
「次の世代に役立つようにと木を植える」
という言葉も、感銘深かった。
キケロが、一般的に老年にとって残念だと思われている、若い時に比べて快楽が減少するということについて、べつに歎くことではなく、かえって若年より精神が動揺したり拡散したりすることがなく、真に哲学や英知の道を落ち着いて辿ることができる、好都合なことだ、と述べているのは、とても興味深かった。
思うに、この本は、なるべく若いうちに読むに越したことはないのかもしれない。
その方が、若い時から徳や知性の鍛錬を心がけて、より良い老年を迎えられるということになるのだろう。
三十代でこの本を読むことができたのは、一応、幸運だったと言えようか。
とても感銘深いことばが散りばめられた、珠玉の本だった。