現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十四節

現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第二十四節




問います。
韋提希夫人は功徳の力がとても強くすぐれていて、み仏の思いが加えられたために阿弥陀如来の御姿を見ることができました。
末法の人々は罪業が重いものです。どうして韋提希夫人と同じようなことができるでしょうか。このことは非常に重大で深い事柄です。ひとつひとつ詳しく経典を引用して明白に証明してください。


答えます。
み仏は、三明に達した聖なる方で、六神通を得て自由自在です。
その人の機根を観察してふさわしい教えを用意し、機根や教えの浅さや深さにかかわらず救います。
ただ本当に帰依するならば、どうしてみ仏の御姿を見ることを疑う必要があるでしょうか。
観無量寿経には、このような意味のことが説かれています。
釈尊は、韋提希夫人を讃え、おっしゃいました。
「よくこのことを質問しました。アーナンダよ、このことを受け保ち、広く多くの人々のために仏の教えを伝えるべきです。
いま、仏である私は、韋提希夫人、および未来のあらゆる人々を教えて、西方極楽浄土を観察させます。仏の本願の働きのため、明るい鏡をとって自分の顔を見るように、浄土を見ることができます。」」と。
この観無量寿経によって経典の根拠をあげることができます。
また、(前節で述べた)阿弥陀如来の三つの力が加わるために、み仏を見ること・み仏に遇うことができます。
ですので、阿弥陀如来の高度な集中力によって阿弥陀如来を見る・阿弥陀如来に出遇う縁(見仏三昧増上縁)といいます。