竹中平蔵 「あしたの経済学」

今から七年前、2003年に出た本で、当時閣僚入りしていた竹中平蔵さんがわかりやすく小泉構造改革の基本的な考え方を書いている。

今読むと、良くも悪くも、小泉改革とは何だったのかについて、考えさせられる本である。

竹中さんが言っていることは、いくつかはとても面白く、納得する部分がある。

この百年間で、日本は三十倍の豊かさになったこと。

バブル崩壊よりも前に、すでに80年代に日本の競争力は弱体化しつつあったこと。

それは、非効率な分野によって、日本の生産性を高めることが邪魔されていたこと。

日本はもともと、強力な分野とそうでもない分野の、二重経済だったこと。

こうした状況の中、日本経済の再生をはかるには、「稼げる力」、供給サイドの力をつけることが必要であること。

そのためには、不良債権というしこりを取り除き、銀行や企業がリスクをとることができる健全な状況を整備することが必要であること。

年2%ぐらいの経済成長を持続することが望ましいこと。

税制とは、つまりこの国のかたちであり、税制をどうするかこそが最も大事であること。

地方への補助金削減、地方交付税の改革、税源移譲を実行し、受益と負担の明確化を進めること。

都市環境技術や生活直結産業をこれからの日本の成長産業とすること。

などなどは、基本的にはそのとおりと思う。

ただ、いくつか今読むと気づかされる問題がある。

小泉・竹中両氏の強力な意志と努力により、多くの犠牲を伴いながらも、不良債権処理が進んだことは、確かに日本にとってプラスだったかもしれないし、それは竹中さんたちの功績だったと言えるかもしれない。

しかし、この本の中で、不良債権処理が進めば、日本経済は立ち直るように言われているが、不良債権処理が進んだにもかかわらず、今もって日本経済が停滞しているのは、なんとしたことだろう。

もちろん、竹中さん自身、この本の中で、不良債権処理は日本経済回復のための必要条件であり十分条件ではない、と述べているが、要するに、不良債権処理だけでは日本経済は回復しない、ということだろう。

さらに、デフレに対して竹中さんはかなり鋭い問題意識を持っていて、その対策の必要性を説いてはいるのだが、にもかかわらず、結局小泉政権の間も、その後も、日本はいまだにデフレ経済から脱却できていないという現実がある。

こうしたことを考えると、「稼げる力」をつけること、つまり供給側の力をつけることを目指して、規制緩和不良債権処理を進めた小泉構造改革の政策だけでは、日本経済は回復しなかった、ということだろう。

むしろ、「使う力」、つまり需要側の力をつけるための、社会保障や雇用政策や労働法規の整備こそが、本当は必要だったのであり、そのことに小泉・竹中路線はあまりにも無関心・冷淡であったために、国民の不安感は払拭されず、結果として今もってデフレから脱却できず日本経済は回復しきれていないということなのではないかと思う。

ただ、「使う力」を付けることには失敗し、不十分であったとしても、小泉構造改革は、不良債権処理に関しては必要な面もあったし、功績があった面もあったと思う。

良くも悪くも、小泉構造改革とは何だったのか、なぜ必要だったのか、また何が欠けていたのか、あるいは何を継承し、何を正すべきかを考えるために、とてもわかりやすい叩き台となる本ではないかと思う。



あと、この本の中で、タウンミーティングである人が語った言葉として記されていた、

「人間は過去に感謝、今努力、未来に希望」

という言葉は、良いことばだと思った。

竹中さんの父がいつも言っていたという、

「人間は稼ぎとつとめができて、初めて一人前の大人だ」

というのも、なるほど〜っと思った。

いろいろ良いことばや考えさせられるデータが載っているところもこの本の良いところかもしれない。