- 作者: 内山融
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 新書
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簡潔簡明に小泉時代について書かれており、叙述も公平で、あの時代がどういうものであり、どのような意味があったのか知りたい人、振り返ってみたい人には格好の手引書なのではないかと思う。
本書は、小泉政治の「光と影」の両方を指摘している。
リーダーシップについては、従来のボトムアップ型からトップダウン型へ大きな変化を日本の政治にもたらし、「強い首相」が日本にも可能であることを示したとしている。
内政については、経済財政諮問会議を設けることによって、従来の政策決定の仕組みを大きく変え、不良債権処理を進めたことや、劇的な郵政民営化や、医療制度改革、公共事業費などの歳出削減などを大胆に進めることができたことを、従来では考えられなかったことだとして高い評価を与えている。
一方で、外交については、対米関係については蜜月ではあり、人的貢献を推進し、テロ特措法やイラク特措法が大幅な自衛隊の活動空間の拡大という意味では戦後の大きな転換点だったと言えるかもしれないが、全体的にそうしたことを通じて何を追求するのか不明であり、アメリカとの関係で受動性が目立ったという。
また、靖国神社参拝に固執し、中韓との関係が冷却し、韓国やASEANとの間のFTAの締結交渉が大きく立ち遅れ、企業の中国での投資や活動にも大きな障害となったことを指摘する。
北朝鮮との関係でも、拉致被害者の帰国という成果はあったものの、田中均と安倍晋三の間で、アメとムチをどのように組み合わせるのか、いまいち首相のリーダーシップが見えなかったことを指摘している。
つまり、内政については大きなリーダーシップと戦略性を発揮したのに、外交に関してはリーダーシップと戦略性が欠如しがちだったとしている。
著者は、55年体制の負の遺産として、内政における利益分配政治、外交における自主性や戦略性を欠如した対米追随・対米受動のあり方の二つがあるとし、小泉政治は前者についてはある程度の打破を成し遂げた部分があるが、後者については基本的に負の遺産はそのままだったという。
さらに、小泉首相を「パトスの首相」と呼び、パトス(情念)に訴える「ポピュリスト的手法」に長けており、そのことによって世論の支持を得て強力なリーダーシップを発揮して従来の政策決定過程に大きな変化を与えたり内政に大きな変化をもたらしたことを評価しつつも、ロゴス(論理)がともすれば希薄で、国会や国民世論における理性を蒸発させ熟議を低調にしてしまったとすれば大きな罪があるということを述べていた。
そうした、著者の指摘は、光と影の両面に関して、的確な指摘だと私には読んでて思えた。
なお、小泉改革が格差社会をつくったという意見に対しては、著者は格差の指標となるジニ係数は小泉改革以前から90年代を通じて上昇傾向にあり、むしろ小泉政権の中期にジニ係数が低下していることを指摘し、単純に小泉政治が格差社会の元凶とは言えないと述べながら、正社員と非正規雇用の制度的問題が中長期的に格差を生むことは事実だろうと指摘している。
また、本書は、日本の政治の対立軸として、経済的自由主義と日本型重商主義との対立を挙げ、その違いは市場メカニズムを信頼するか否か、新古典派経済学を受け入れるか否かにあるとしている。
そのことは、今後も依然として日本の大きなテーマとなるかもしれない。
内政に関して、小泉さん程度のリーダーシップを発揮できる人が、その後なかなか現れないことを考えれば、政策内容の是非は別にして、小泉・竹中の手腕は参考にはすべきかもしれない。
外交に関して、単に心情倫理に突っ走るのではなく、戦略性をきちんと持ったリーダーシップを発揮できるリーダーが現れることは、いつになるのだろう。
さらに、パトスやポピュリスト的手法も世の中を動かすには必要かもしれないが、一方できちんとした熟議や理性的なロゴスに基づいた民主主義を目指す努力が政治家にも一般国民にも必要だろう。
そんなことをあらためて考えさせられた。
にしても、小泉政権・小泉改革というのは、プラスにしろマイナスにしろ、本当にいろんなテーマがてんこ盛りというか、本当に考えさせられるシロモノである。