「大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼」


「大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼」の書下し文をつくってみた。


いままで、大正新修大蔵経には白文で載っていても、国訳一切経などには載っておらず、書下し文はなかったようである。


というわけで、私が書下しを試みてみた。


文殊師利菩薩無相十礼」によく似ている。
おそらく、「文殊師利菩薩無相十礼」が、この「大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼」と善導大師の往生礼賛の影響を受けてつくられたものなのだろう。


文殊師利菩薩無相十礼」の方が簡潔だが、「大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼」もすばらしいものだと思う。
よく如来の悟りが表現されているのだろうと思う。


なお、原文には不空三蔵の前書きが記されているが、それは省略した。




「大聖文殊師利菩薩讃仏法身礼」


(不空三蔵訳す)


かくの如く我れ聞けり。
一時、仏、王舍城鷲峯山中に住(いま)しき。大比丘衆二万五千人と倶なり。皆是れ阿羅漢なり。また、大菩薩摩訶薩七十二那庾多倶胝、文殊師利菩薩を上首とせり。
爾時(そのとき)文殊師利菩薩、座より起(た)ちて衣服を整理し、偏えに右肩を袒(ぬ)ぎて仏足を頂礼し、合掌して恭敬し如来を称揚し、伽他を説きて曰く、


色無く形相無く        根無く住処無く
生じず滅せざるが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
去らずまた住さず       取らずまた捨てず
六入を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
諸法において住さず      有を離れ無を離れるが故に
平等に行ずるが故に      観ぜらるる無きを敬礼す
三界において出過し      虚空に等しく同じく
諸もろの欲に染まらざるが故に 観ぜらるる無きを敬礼す
諸もろの威儀の中において   去り来り及び睡り寤(さ)めること
常に寂静に在(お)る故に   観ぜらるるところ無きを敬礼す
去るも来たるも悉く平等    已に平等に住す
壊れざる平等の故に      観ぜらるる無きを敬礼す
諸もろの無相の定に入り    諸もろの法の寂静を見る
常に三昧に在(お)る故に   観ぜらるる無きを敬礼す
住無く観ぜらるるところ無く  法において自在を得
慧は常に定を用いる故に    観ぜらるる無きを敬礼す
六根に住さず         六境に著せず
常に一相に在る故に      観ぜらるる無きを敬礼す
無相の中に入り        能く諸もろの染において断ず
名色を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
有相に住さず         また諸相において離れ
無の中において相に入る    観ぜらるる無きを敬礼す
分別無く思惟し        心は住せらる所無く住す
諸念は起らざるが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
蔵(おさ)むること無く識は空の如く  染まること無く戲論無く
三世を遠離する故に      観ぜらるる無きを敬礼す
虚空は中と辺と無し      諸仏の心また然(しか)り
心は虚空に同(ひと)しき故に 観ぜらるる無きを敬礼す
諸もろの仏は虚空の相なり   虚空はまた無相なり
諸もろの因果を離れるが故に  観ぜらるる無きを敬礼す
諸法において著せず      水月の取る無きが如し
我相において遠離す      観ぜらるる無きを敬礼す
諸もろの蘊に住さず      処界に著せず
顛倒を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
常に法界において等しく    我見悉く皆な断(た)つ
二辺を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
諸色に住さず         取るに非ずまた捨つるに非ず
非法を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
障礙無き法を証し       諸法において通達す
魔法を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
有に非ずまた無に非ず     有も無も得べからず
諸もろの言説を離るるが故に  観ぜらるる無きを敬礼す
我慢と憧(あくがれ)を摧折す 一にあらずまた二にあらず
一と二とを遠離するが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
身・口・意に失(あやまり)無し 三業常に寂静なり
譬喩を遠離するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
一切智に常に住す       まさに無功用を現ずべし
諸もろの過ちを遠離するが故に 観ぜらるる無きを敬礼す
微妙にして漏念無し      限りあること無く分別すること無し
情と非情とに等しきが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
心を以(もち)いるに無礙の故に  悉く一切の心を知る
自と他とに住さざるが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
礙(さまたげ)無く観ぜらるる無し  常に礙(さまたげ)無き法に住す
諸もろの心を遠離するが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
心は常に所縁無く       自性は得べからず
平等にして量り難きが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
心に依る所無きを以て     悉く諸もろの刹土を見る
諸もろの有情を知るが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
諸法は薩婆若なり       畢竟所有無きなり
仏心は測り難きが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
諸法の由(ゆえん)は幻の如し  幻の如くして得べからず
諸もろの幻の法を離れるが故  観ぜらるる無きを敬礼す
仏は常に世間に在(ましま)し  しかも世の法に染まらず
世間に染まらざるが故に    観ぜらるる無きを敬礼す
一切智に常に住す       空性は空境界なり
言説はまた空しきが故に    観ぜらるる無きを敬礼す
無分別の定を証し       如幻三昧を得
遊戲神通の故に        観ぜらるる無きを敬礼す
一にあらずまた異にあらず   近きにあらずまた遠きにあらず
法において不動なるが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
一念の金剛定         刹那に等覚を成ず
影像無きを証するが故に    観ぜらるる無きを敬礼す
諸もろの三世の法において   諸もろの方便を成就す
涅槃を動かざるが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
涅槃は常に不動にして     此岸と彼岸と無し
方便に通達するが故に     観ぜらるる無きを敬礼す
無相にして無所有       患い無く戲論無し
有と無とに住さざるが故に   観ぜらるる無きを敬礼す
智処悉く平等にして      寂静にして分別無し
自他一相の故に        観ぜらるる無きを敬礼す
一切平等に礼す        礼無きも不礼無きも
一礼遍ねく識を含み      同じく実相の体に帰す


爾時(そのとき)世尊、文殊師利菩薩を讃じて言(もうさ)く、
「善哉、善哉。汝今善く如来の功徳、一切諸法は本来清浄なるを説く。文殊師利よ、仮使(もし)人有りて、三千大千世界の一切有情を教化し、辟支仏を成ずるも、この功徳を聞く人有りて一念信解するに如(し)かず。即ち彼に超過すること百千万倍なり。かくの如く展転して能く称賛し譬喩挍量する無し。具(つぶさ)に本経の所説の如し。」と。


大聖文殊師利菩薩讃仏法身




ついでに、youtubeに良い動画があったので、貼りつけてみた。
心のやすらぐ良い歌と画像だと思う。
文殊師利菩薩の御真言だが、なんとやさしい響きだろう。