マルクス・アウレリウス『自省録』を読み返して

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)


今日、ひさしぶりに、マルクス・アウレリウスの『自省録』を読み直した。

この本、実は、前に何度か読んだことがある。
岩波文庫の最後のページの書き込みによれば、どうやら中三から高一の頃、つまり二十年ぐらい前にはじめて手に入れて読んだらしい。

その次に、十三年ぐらい前、再度読んだらしくて、深い感銘を受けた旨が書き込まれているのだけれど、

いかなることか、今回読み直すまで、さっぱりほとんど忘れていた。

でも、ふと最近読みたくなったのは、昔二回読んで、良い本だというかすかな記憶があったおかげなのだろう。

あらためて丹念に読んでみると、これは本当にすごい本だ。

しばしば、心震え、深く感じ入る文章が多々。

これほどの境地と達観に達した人物が、ローマ帝国の皇帝だったという史実にも驚くばかりだが、本当にすぐれた人物だったのだろう。

一方で、ローマ皇帝でありながら、ほとんど政治のことは論じず、むしろ人間への深い諦念やこの世を厭う気持ち、忍耐し甘受することへの努力ばかりが伝わってくるのをみると、皇帝などなるものではなく、なったとしても随分と大変なものなのだろうとあらためて考えさせられる。

十三年ぐらい前に読んだ時は、深い感銘を受ける一方で、なんだかペシミスティックで消極的なところが不満に感じた気もするが、今回読みなおしてみると、とてもよくわかるというか、うなずかされることが多々あった。
たぶん、若者にはあまり向かない、やや世の中に疲れた人が、深い慰めと安らぎを得ることができるのがこの本なのかもしれない。

もっとも、この本の与える感銘や叡智は、とても上記のような言葉では尽くせない。
ほとんど、すべての節が深い深い、普通の本であれば、一節あれば良いぐらいの深いフレーズが連続してずっと綴られている。
凡百の自己啓発本や精神世界の本を読んだりするよりは、この一冊を熟読した方がはるかに人は心の慰めや視野を大きく広くし転じることができるし、心の活力や柔軟性を取り戻すことができると思う。

これからは、時をおかず、常に枕元において、繰り返し熟読味読したい。