「クオレ」

クオレ (世界文学の玉手箱)

クオレ (世界文学の玉手箱)


『クオレ』は、小さい頃途中まで読んで、ずっと忘れていた。

ふと、だいぶ前に、池上彰さんが小さい頃読んで感動していたと言っていたので、いつか読み終わろうと思った。

それでちょっとずつ読んでいたのだが、とても良い本だった。
児童文学の傑作だと思う。

いろんな個性や境遇の子どもたちが出てきて、ときどきいろんなエピソードがはさまる。

義侠心に富んだ少年がいじめっ子をこらしめたり、貧しい家の子がけなげに親のために働いたり、いろいろと感動させられる物語も多い。

また、ちょうどイタリア統一の頃の物語なので、新しく国民国家をつくり同胞として愛し合おうという物語のはしばしに機運がみなぎっているし、少年でありながら戦場で命をはって任務を全うする美談もいくつか出てくる。

国民国家、というと日本では戦後、批判的に語られることが多いのかもしれないが、クオレに描かれるのは、古き良き理想としての国民国家、遠く離れた地域の人も、ともに兄弟のように愛し合う、そして大国の支配に対して闘って祖国の独立と統一を守る、ということなのだろう。

そして、クオレにおいて、そうした理念や理想が空疎や空虚になっておらず、生き生きと感銘を与えるのは、健全な具体的な友人との友情や家族愛や思いやりや義侠心と結びついているからなのだと思う。

日本の現在においては、とかく愛国心国民国家という言葉が、排外主義や差別と結びついて語られることがしばしばであることからすれば、クオレの登場人物たちはむしろ真逆で、日本における排外主義や差別を義侠心から正そうとする側の方であることは確かだし、そうであればこそ健全でかつ感銘深いのだと思う。

そして、何よりこの本を読んでいてびっくりしたのは、このクオレの後半の中に、なんと『母をたずねて三千里』の物語があることである。
クオレはいろんな物語が集まってできている本なのだけれど、なんと母をたずねて三千里はその中の一部だったのか。
というわけで、クオレは、全部ではないとしても、少なくともその一部分は、日本人の多くが知っている物語だったということに、あらためて感銘を受けた。

また時折読み直したい、良い本だった。
子どもの時に全部読んでいたらなぁと思ったが、最初の方だけでも読んでいたため、どこかしら、私はクオレに出てくるような、国民国家や義侠心みたいなものが、心のどこかにずっと理想としてあったような気がする。
そして、それは、善い方向で、昇華し、あたためていきたいことのように思う。
今の日本では、馬鹿げた愛国教育などより、クオレをこそしっかり読んだ方が良いのかもしれない。