雑感 権威と自由とマスコミと

ヒュームは、政治社会には「権威」と「自由」の両方が必要だと説いた。
どちらに偏っても自由が窒息するか無秩序になるかして人間の幸福に必ずしも寄与しないと。

あまり安定した政府が続かず日本の政治的麻痺が続くようであれば、前者に関連する要素が今の日本に不足し過ぎているということかもしれない 。

かといって、今の時代はむやみに権威的な手法を用いようとしてもうまくいかないだろう。
大事なことは、政府や政治家がきちんとした説明責任を果たし、説明責任こそがデモクラシーにおける権威の源泉だと心がけること。
そして、国民もきちんと政府や政治家の言葉に耳を傾けることと思う。

マスコミが政治のすべてを否定や嘲笑の種にする傾向は、安定した統治にとってマイナスになりうる場合もあると思う。
権威と自由のバランスを極めてアンバランスにする場合もあると思う。
言論の自由は大事だし、報道統制はもっての他だが、マスコミの風潮に対する懐疑は有権者にとって必須ではなかろうか 。

大事なことは、ムードや政局ではなくて、政策だと思う。
政策についての議論が深まらず、すべてがムードや政局で語られ、マスコミが延々と繰り広げるネガティブな風潮に、なんとなく国民が時の政権を見捨てて見下げはて、政治家も自信を失うとすれば、政治的麻痺はこれからも先も続くだろう。

あぁ、私自身の好みから言えば、アナキズムの研究にでも耽って、絶対的な自由な社会を夢見る方がよほど楽しいんだけれどなぁ。。

時代錯誤的な保守系権威主義を批判してつぶしながら、説明責任的なデモクラティックな権威を確立すること。
これはとてつもなく難しい道のりだし、保守系権威主義者からも革新系反権威主義者からも理解され難い道のりだろうけれど、これが本当に今の日本に欠けていることじゃなかろうか。

権威と自由の両方が大事だという発想は、たぶん現代においてはあんまり受けが良くないことだろうけれど、良質の自由やデモクラシーを求める人が、本当は求めるべき構えであり道のように思う。