米国民による米テロ 劇的増加
http://mainichi.jp/select/world/news/20110107k0000m030104000c.html
この記事によれば、近年のテロ犯の四割が米国民だそうである。
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家庭の崩壊、貧困、差別など米社会で疎外感を覚えている若者らが、閉塞(へいそく)感のはけ口として、体制に挑む過激思想に染まっているとみられ、
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この記事の分析がもし正しいとすれば、「テロとの戦い」は、まずは自国内部の貧困や差別へのケアを主軸とすべきように思う。
テロに走らずにはいられないような人が多くなるような社会というのは、長期的に見た場合、非常にコストのかかる社会だと思う。
短期的な利益を高額所得者や富裕層が追求して貧富の差や社会の不条理を放置する結果、結果としてセキュリティに必要以上にコストがかかり神経を消耗させるようになれば、長い目で見た時には決してプラスなことはないだろう。
長い目で見た場合には、やはり貧困問題に適切なケアがなされ、機会の平等が広く行きわたり、希望の格差がそこまで生じない社会の方が、テロも生じにくく住んでいる人間も安心や相互の信頼のしやすい社会になるのではないか。
絶望が蔓延しないような社会にすることは、実は長い目で見た場合の社会の防衛になるし、安全保障にも役に立つ。
貧困対策は、実は安全保障であり、社会保障こそ本当の意味の安全保障だという発想が、二十一世紀には非常に重要ではないだろうか。
オバマ現政権はおそらくそのことはよくわかって、少しずつ転換しようとしているのだろうけれど、いかんせん前任者が悪かった。
しかもティー・パーティーみたいなのがあれほど力が強くて活発だと、なかなかやりたいことを十分にはできない部分もあるのだろう。
幸い、日本はアメリカほどにはひどいことにまだなっていないと思う。
しかし、希望格差社会と指摘されるような部分や、プレカリアートとでも呼ぶべき層も実際に近年非常に増えている。
アメリカを他山の石として、きちんとした貧困対策・社会保障に日本は取り組むべきと思う。
菅さんは「最少不幸社会」ということを掲げているけれど、貧困対策や社会保障を充実させてこそ意味のある言葉で、そうでなければ空文句になってしまうことだろう。
テロに走らざるを得ないような人が生じないような社会を、政府も庶民もともに各自目指したいものだと思う。
ただ、これは以前読んだ、チャールズ・タウンゼンドという人が書いた『テロリズム』というテロについて研究した本に書いてあったのだけれど、
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-%E3%80%881%E5%86%8A%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%80%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4000268643
国内問題に関しては、テロはほぼ効力がなく、政府の政策を変えることはあんまりないそうである。
対外問題の場合はコスト高だと思わせて撤退させる効き目があることが時折はあるそうだが、国内の場合、政府も資本家も、テロの被害ぐらいあまり気にせず、自分たちが持っている権益を死にもの狂いで守るだろうから、あんまりテロによって世の中が変わることはないそうである。
言論の自由がなかったり、選挙権がなければ、場合によってはテロに訴えざるを得ないと思い詰めることもあるのかもしれないが、言論の自由や選挙権のある国だったら、本当に世の中を変えたいと思うならば、テロよりは言論や選挙で変えることを目指す方が実際の効果も大きいし、自他の人生にとってもはるかに良いと言えるだろう。
アメリカのテロリストも、せっかく言論の自由も選挙権もある身に生まれているのだから、テロではなく非暴力不服従の方法で世の中を責任を持って変えて欲しいものである。