野田叩きへの疑問

関電の電力が足りていると言っている人がしばしばいる。


しかし、たとえば8月7日の瞬間値として10時〜14時に大飯原発再稼働がなかった場合の最大電力2542万kwを上回っている状況が明記されている。
http://www.kepco.co.jp/setsuden/graph/index.html 
(過去の電力使用実績、エクセルファイルでダウンロードして参照)
瞬間でも超えれば大停電の可能性がある。


なので、まともな脱原発派ならば、大飯の再稼動がなかった場合の最大電力2542万kw以下に電力使用を抑え込むように節電を呼びかけるべきだろう。
どうもそうした努力なしに、杜撰な根拠で電力足りているから野田さんはおかしい、みたいな安易な批判は非常にアンフェアだし間違っていると思う。


だいたい、それらの人々が、もし自宅で冷房使いながら、「野田死ね」とか言っているならば噴飯ものだと思う。
本当の説得力は、ガンジーのように、自らの言行を最高の道徳と一致させてこそあるはずだ。
悪口せず、自ら節電し、道徳の力を発揮してこそ、政府を批判する資格もあるだろうに。


私の知り合いの何人かは、この夏は冷房を自宅で一度も使っていないと言っていた。私もそうだ。
だが、私もそうした人々も、野田さんに対して「死ね」だの悪口雑言を言ったことは一度もない。
自宅で冷房使いながらツイッターで悪口雑言している連中は少しは恥を知れと言いたい。
武士の風上にも置けん。


野田さんは野田さんなりに、病院等への悪影響を考えて再稼働を決断したわけで、現実問題として瞬間値としてしばしば再稼働がなかった場合の供給量を超えているわけだから、大停電のリスクは十分以上にあったとみなすべきである。


また、参院野党7会派が問責決議案を提出する際、「野田総理大臣が強行しようとしている消費税増税は、民主党政権公約に違反するものだ」などと言っていたが、マニフェストには一行も消費税を上げないなんて書いていない。
2010年分には協議が明記されている。


「消費税増税マニフェスト違反」という大嘘は、本当にうんざりする。
そもそも、それらの人は自分でマニフェストを読んだことは全くないのだろう。
ヒトラーが言ったように、嘘も何回も繰り返していると本当のように流通する。


特に小沢派のデマと虚言虚偽はひどい。
だいたい、彼らは口をひらけば「国民生活が第一」などと言うが、本当に生活党の政策を理解して支持しているのだろうか。


生活党は、
「行政の権限と財源は地方に大胆に移し、「地域が主役の社会」を実現する。」
とHPに明記してる。
湯浅誠さんも危惧していたが、これをやってしまうと、税収が豊かな自治体はともかく、貧しい自治体はどうするのかという問題がある。
生活党を支持している人たち、それをわかってるんだろうか。


それよりは、菅さんが実現した一括交付金化を正当に評価し、活用していく方がよほど国民生活を第一に考えている。


小沢派は、菅さんが去年自民党等々から海水注入停止を指示したというデマが流された時、いったい何をしたのだろう。
また、いま東電の情報公開が不完全な時に、何をしているのだろう。
小沢さんに対するバッシングが不当とあれほど憤慨するならば、その百分の一でもこの不当な菅降ろしに憤慨してみろと言いたい。


先日、東電のテレビ会議映像が一部公開された。
東電の不完全ながらの一応の映像公開、三つの事故調の報告書の発表の前にするわけにはいかなかったのだろうか。
三つの事故調の報告がすでに出てから、しかもオリンピックの時期に合わせて出してきたのは、本当に偶然なのか、それとも意図的なのか。
しかも政治が不信任案で混乱している最中。


しかし、こうしたことには何の疑問もたず、相も変わらず菅さんや野田さんに対する悪口雑言ばかりの小沢派とは、いったい何なのだろう。


政治家が全知全能でなければ叩きのめす、という発想方法ほど不毛なものはない。
どこにも全知全能の人などいない。
政治家や首相もそうだ。
all or nothingではなく善い側面を伸ばし、支えることが大事だ。
菅さんはわずか一年三か月の間に多くの善いこともやった。
それを見ないのは愚かだ。
野田さんもまた、特別会計の改革を明言している。
菅さんが提言している脱原発基本法与野党全体で盛り上げていくことも、まともな脱原発派ならばまず第一に目指すべきことだろう。


世の中、善いところは何も見ず、悪いところをけなすことしかできない人々がいる。
そういう人こそが、この世を悪くしているということに気付くべきだろう。
良い芽を伸ばし、悪いものは少しずつ一歩一歩除去していくし、その努力を認め、支え、伸ばすこと。
それこそが本当に正しい努力というものだ。

絵本 「はらぺこあおむし」

英語でもよめるはらぺこあおむし

英語でもよめるはらぺこあおむし


私の親戚の小学生の女の子が、この「はらぺこあおむし」の絵本が大好きで、すべて暗記するぐらい愛読していた。

というわけで、私も読んでみたのだけれど、たしかにとてもかわいい元気いっぱいの絵本だった。

英語の原文と対訳で文章がついていて、読み比べてみると若干、日本語の訳と違っているところがあったのが面白かった。

最後の一文が、

"He was a beautiful butterfly!"

つまり、日本語訳の「あおむしが、きれいなちょうになりました」よりも、実はもともときれいなちょうだったという含みがあるのが面白かった。

もっとも、訳はどうしても原文どおりにはいかないし、むしろ日本語としてはとても良い訳だったと思う。

子どもの生命力や、自然の変化の不思議さを、かくも元気いっぱいにわかりやすく描くことは、他のジャンルでは難しいことを考えると、絵本はやっぱり貴重なものだと思った。

絵本 「わたしのくまさんに」

わたしのくまさんに

わたしのくまさんに



一回目読んだ時は、とてもかわいい熊の絵に、ちょっと「?」となりながらも、かわいい絵本だなぁと思って読み終わった。


二、三回目読むと、この絵本、かなり物語に謎がつまっている。


何回読んでも、その謎は解けない。


というより、その謎について読者がそれぞれに、いろんな想像をかきたてられ、自分からさらに物語をつくっていけるように綿密に計算されてつくられているのだろう。


文字が読めるということのありがたさ、そしてそれを生きた声にして読み聞かせることの大切さ、などなどを、生き生きと感じさせてくれる。


不思議な、とても良い一冊だった。

柳田邦男 「気づきの力」を読んで

「気づき」の力―生き方を変え、国を変える

「気づき」の力―生き方を変え、国を変える

「気づき」の力―生き方を変え、国を変える (新潮文庫)

「気づき」の力―生き方を変え、国を変える (新潮文庫)


とても良い本だった。


「見る眼」と「気づき」。
つまり、自分がどのように対象をきめ細かく見ているか、そして自分は見る対象にどのような意味を見出しているか。
この感性が大切であること。


専門バカであるより、良識や内面の豊かさこそ大切であること。


自分の人生の星座を見つけること。


耳を傾けるコミュニケーション力こそ大切であること。


などなど、とても心に響くメッセージが詰まっていた。


また、河合準雄さんが柳田さんに言ったという、


「自分自身の崖っぷちに立ち、もうこの先はない、というぎりぎりの切羽詰まった心境になって、その中で結果のことなど考えず、全身を投げ出すぐらいの覚悟でやれば、意味が出てくる」


という言葉は、とても考えさせられた。


「その時その場の真実に賭ける」


という言葉も。


あと、個人的には、水俣の地元学の記述のところで、吉本哲郎さんの御話が出てきたのが、とてもなつかしかった。
私も以前、向こうは覚えておられないかもしれないけれど、十年以上前に何度か吉本さんにいろんなことを教えていただき、とても楽しかった思い出がある。


とても良い一冊だった。

国分康孝 「自己発見の心理学」を読んで

〈自己発見〉の心理学 (講談社現代新書)

〈自己発見〉の心理学 (講談社現代新書)


この本、今をさること十数年前、高校や大学の頃に読んでけっこうためになった。


で、ずっと忘れていて、ふと本棚から引っ張り出して読んでみたら、とてもためになった。


この本が言っているのは、要するに、人生には「哲学」が大事だということ。


つまり、自分が持っている「ビリーフ」(信条)を自覚して、それが本当に妥当か、論理的か、事実に基づいているか、きちんと検討して、適切に訂正しながら生きていくということだ。


人間は、意外と不合理な信条、つまり「イラショナル・ビリーフ」を抱えていて、それによって自分で苦しんでいる場合が多い。


かくいう私自身も、十数年前にこの本を読んだ時も、多くのイラショナル・ビリーフを抱えて苦しんでてだいぶ自分で考え直したつもりだったが、今も多くのイラショナル・ビリーフを別の形で抱えていることに気付いて驚く。


結局、自分を救えるのは自分だけ。
自分で、自分の考えや論理をよく見つめ直し、検討し直してこそ、自分の人生を改善でき、救うことができるのだろう。


あと、読み直してちょっと驚いたのは、


「なおそうとするな、わかろうとせよ」


という言葉がこの本に明記されていたこと。


この言葉、この本で読んだはずだったのにさっぱり忘れていて、大学院に入ってすぐの頃、宮台真司の本にこれと全く同じ言葉が書いてあって、とても感銘を受けて、宮台さんは良いこと言うなぁと感心したことがあった。


この著者の方は、この言葉は友田不二男と高木四郎という二人の先生から教わったと書いてあった。
宮台さんが言うずっと前から、たぶんカウンセリングではよく言われることだったのだろう。


あらためて、ためになる一冊だった。