「シュトゥットガルト決議」

シュトゥットガルト決議」を翻訳してみた。


シュトゥットガルト決議」は、第二インターナショナルの1907年のシュトゥットガルトで行われた大会で決議されたもので、労働者が戦争に反対する義務を決めたものである。


しかし、にもかかわらず、第一次大戦が開始されると、ほとんどの各国の社会主義者社会主義政党はこの決議を忘れ、あるいは捨てて、自国の戦争への支持と協力を表明し、戦争に熱狂した。


ローザ・ルクセンブルクレーニンが、シュトゥットガルト決議に簡単に各国の社会主義者が反していくことに衝撃を受けたことはよく歴史の本に書かれていることである。


第一次大戦が始まる寸前に、懸命に戦争回避のために努力したフランスの社会主義者のジョレスがもし生きていれば、もっと歴史が違っていたのではないかということも、しばしば言われることである。
ジョレスは一次大戦勃発の直前に暗殺されてしまった。


ただ、結果として言えば、いわばこのシュトゥットガルト決議は空文になってしまったと言える。
なぜ空文になってしまったのか、この決議文に意味はなかったのか。
それは難しいテーマであり、いろんな考え方があると思う。


ただ、きちんと読んでみると、かなり良いことが書いてある気がする。
ところどころ、古色蒼然たるプロレタリア云々資本家云々という表現はあるものの、そうした社会主義的表現を割引いて読めば、今でも平和や自由を愛する人にとって、ほとんどは違和感なく読める、場合によってはとても共感する内容と思う。


ネットで検索してみたところ、なんと日本語では、シュトゥットガルト決議の翻訳文がネット上にはなかったようである。


というわけで、いささか心もとないながら、英文を参照しつつ、私が翻訳を試みてみた。
ひょっとしたら、間違っているところもあるかもしれないが、ともかく大意は伝わると思う。


この決議や一次大戦、そして一次大戦後の国際連盟反戦運動から、我々はどのようなメッセージや精神や、教訓を引き出すことができるのだろうか。
その受けとめ方や考察は、二十一世紀にも非常に重要なことではないかと思う。



シュトゥットガルト決議」


本大会は、過去の国際大会によって、軍国主義帝国主義に対して採択された決議を確認します。
そして、軍国主義に対する戦いは、総じて社会主義者階級闘争と切り離すことができないものであることをあらためて宣言します。


資本主義国家同士の戦争は、概して、世界市場における競争の結果であり、それぞれの国家は既存の市場を確保するためだけでなく、新たな市場の征服を求めているものです。
外国の人々や国家を征服することは、この中で大きな役割を果たしています。
これらの戦争は、軍国主義による軍備の直接的な競争をさらに生じさせます。
そして、ブルジョワ階級の支配と、労働者階級を経済的政治的に従属させるための、主要な手段の一つとなっています。
 

労働者階級の大衆の目を、彼ら自身の階級の課題から、また国際的な連帯という義務からそらせるために、支配階級の利益において、文明諸国の国民の間に意図的に国民的な偏見がつくられ、その偏見によって戦争は支持されています。


ゆえに、戦争は、資本主義の本質の一部です。
戦争は資本主義のシステムが廃された時にのみ止まることでしょう。
また、戦争技術の進歩によって人的にも金銭的にも莫大な犠牲が要求され、(過剰な)軍備が人々の憤りを引き起し、人々が資本主義のシステムを廃するように駆り立てられた時にのみ、戦争は止まることでしょう。


この理由から、兵隊のほとんどを構成し、最も多く物質的な犠牲をなしている労働者は、戦争に自然に反対する者です。戦争は、労働者の最も重要な目的、つまり社会主義の基礎の上に経済的秩序を創り、すべての国民に連帯をもたらすことに反対するものです。


ゆえに、本大会は、陸海軍の軍備とその権力(陸海軍の軍備と権力は、ブルジョワ社会の階級的な本質と国民的な反目を維持するという動機を特徴としている)と闘うこと、およびそれらの軍備のための手段を拒否することを、労働者階級の義務、また特に議会の代表者の義務だとみなします。
さまざまな国民、および社会主義者階級意識が発達している)が友情の精神を持ち、労働者階級の若者たちの教育のために尽くすことは、労働者階級の義務です。


本大会は、軍隊における民主主義的な組織や、常備軍に代わる民兵や、攻撃的な戦争を不可能にする本質的な保障、および今まで助長されてきた国民的な反目を克服するものに注目します。


本インターナショナルは、厳格な形で労働者階級の反戦運動の形を決定することはできません。なぜならば、反戦運動の形は、異なる国々において、また異なった時や所の環境において、おのずと異なったものであるからです。
しかし、戦争に反対する労働者階級の努力を最大限にまで伸ばし、調整することは、労働者階級の義務です。


実際、ブリュッセルでのインターナショナルの大会以来、陸海軍の軍備の手段を拒絶し、軍隊組織を民主化するための努力を行うという不撓不屈の闘いにおいて、プロレタリアは、その重要性と成功を増しつつ、実にさまざまな形を用いています。
戦争によってもたらされる社会の痙攣を労働者階級の解放のために役立たせることはもちろん、戦争の勃発を防ぐこと、あるいは戦争を止めることがすべての目的です。


ファショダ事件を受けて、イギリスとフランスの間の友好関係を回復するために、そして平和を維持するために、イギリスとフランスの労働組合の間において結ばれた合意は、特にこのことの証拠となっています。
また、モロッコの危機(タンジール事件)の間にドイツとフランスの議会における社会民主主義の政党が行ったやり方や、同じ目的のためにフランスとドイツの社会主義が申し合わせて行ったデモ。トリエスデで会合したオーストリアとイタリアの社会主義者が二国間の紛争を防ぐために行った提携。さらにはノルウェーへの攻撃を防ぐためにスウェーデン社会主義労働者たちが行ったエネルギッシュな介入。最後には、ロシアとポーランド社会主義の労働者や小作人たちの、戦争に反対するための英雄的で自己犠牲的な闘い―その戦争反対は、帝政から解放されるため、戦争を止め、そして労働者階級の解放のために自国の危機を役立たせるためのものでした― これらのことがこのことの明白な証拠となっています。


全てのこれらの努力はプロレタリアの成長する力の証拠であり、また断固たる介入によって平和の維持を保っていくための能力が伸び続けていることの証拠です。
より一層労働者の精神がそれに対応した活動によって準備さればされるほど、またより一層インターナショナルによってさまざまな国々の労働者の政党が鼓舞され調整されればされるほど、労働者階級の活動はすべてにおいてさらに成功をしていくことしょう。


プロレタリアが突き上げることで、政府が悲惨な手段に代わって仲裁を真剣に用いること、また軍縮の恩恵がすべての諸国民に確保され、軍隊軍備に丸のみされている金銭とエネルギーの多大な支出を文化的なさまざまな目的のために用いること、これらができるようになるということを、本大会は確信しています。


もし戦争が起こる兆候があるならば、(第二)インターナショナルの事務局の調整や活動によって支えられつつ、最も効果があるとみなされる手段によって戦争の勃発を防ぐために、あらゆる努力を行うことが、関連する国の労働者階級とその議会における代表の義務です。
そして、その努力のありかたは、階級闘争や一般的な政治的状況の尖鋭化の度合いによって自然とさまざまな変化をします。


とにかく戦争が起きてしまうであろう場合には、その速やかな終結のために介入することが、義務です。
また、すべての力を使って、戦争にとって生じた経済的政治的危機を、大衆を目覚めさせ、その結果、資本家階級の支配の没落を早めるために利用することが、義務です。

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十八節

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十八節



阿弥陀如来の御本願によって間違いなく往生させていただくと知り、さまざまな仏たちがそのことを証明しておられると知っていく縁」(証生増上縁)


第三十八節


また、阿弥陀如来の御本願によって間違いなく往生させていただくと知り、さまざまな仏たちがそのことを証明しておられると知っていく縁(証生増上縁)とは何でしょうか。

質問します。
今すでに阿弥陀如来は四十八の誓願をし、あらゆる生きとし生けるものを摂取して浄土に往生させることができたと言いますが、どのような者たちを摂取して往生させることができたのかということをまだ知りません。
また、これはいったい誰が浄土に往生することを保証しているのでしょうか。


答えます。
観無量寿経には以下の意味のことが説かれています。
釈尊韋提希夫人におっしゃいました。「あなたは知っていますか。阿弥陀如来はここからそんなに遠くにおられるわけではありません。あなたはぜひとも想いを集中して、はっきりと浄土を観想すべきです。そうすれば、浄土に往生するための清らかな行いが成就します。また、未来の世に生きるあらゆる凡夫たちも、西方極楽浄土に往生することができることでしょう。」と。
今、この経典の一節も証明となります。
釈尊が入滅された後の凡夫は、ただ、阿弥陀如来の御本願の働きのおかげで間違いなく往生することができます。
これがつまり、阿弥陀如来の御本願によって間違いなく往生させていただくと知り、さまざまな仏たちがそのことを証明しておられると知っていく縁(証生増上縁)です。

メモ

「お互いのちがいを大切にするとき みんなの こころは 一つになる」(大須賀発蔵)


"If we respect each other’s differences, everyone's hearts will be one."
(Hatsuzo Osuga, Japanese buddhist counselor)


"Se ni respektas reciprokajn diferencoj, ĉies koroj estos unu."
(Hatsuzo Osuga, Japana konsilanto)




「宇宙現象の一切は仏の慈悲そのものであり、衆生を救うための方便である。」
大須賀発蔵)


Every phenomenon of the universe is the compassion of the Buddha itself,
And is Upaya (expedient means or pedagogy) to save all beings.
(Hatsuzo Osuga, Japanese buddhist counselor)


Ĉiu fenomeno de la universo estas la kompatemo de Budho mem,
Kaj estas Upaya (rimedoj aŭ pedagogio) por savi ĉiujn estaĵojn.
(Hatsuzo Osuga, Japana konsilanto)




武谷三男さんは若い時ロマン・ロランの一次大戦への批判の文章に影響を受けたらしい。大西巨人さんも『神聖喜劇』中に一次大戦反戦文学が言及。二次大戦で戦意高揚や戦争の熱狂に影響されず、独自のスタンスを保つことができた人は、一次大戦文学について深い教養があった人だったのかもしれない。


わずか百年ぐらいしか経っていないのに、シュトゥットガルト決議も、第一次大戦そのものも、だいぶ忘れられてしまったのだろうか。というより、もともと日本の場合、同時代にもほとんど認識も記憶も影響もそんなになかったのかもしれない。稀に深く受けとめる人がいた、ぐらいのことだったのだろう。


結果としてドイツは一次大戦で負けたけれど、リヒトホーフェンやミューラーやレットウらの事績が、人の心を奮起させたり、感動させるのは、どういうことなのだろう。たぶん人間はどのような立場であろうと、任務に忠実に、勇気を持って、正々堂々振る舞えば、後世の人の胸を打つということなのだろう。


どうしてドイツほど優秀な偉大な民族が、ナチスなんかにころっといってしまったのだろう。あらためて不思議で仕方ない。一次大戦のドイツの士官たちは、あんなにも立派でフェアな人々が数多くいたのに。敵のために墓碑を建てるリヒトホーフェンみたいな精神が、ナチのゴロツキには微塵もないよなぁ。。


さらさらと流れる川のように生きる、というのは、非常に至難なわざだと思う。坂村真民さんや甲斐和里子さんの詩や歌にはそのような心境のものがあるが、私はつっかかったり、過去への未練や固執がともすれば起きる。念仏の日暮らしの中で、少しずつでもそうした境地を仰いでいけたらいいけれど。


「強い信念をもて」(ボルケ、リヒトホーフェンの上官)


「私は常に変化を求める男です。これは一つの新しい変化であり、私にとり、得るところがあると思います。」(マンフレット・フォン・リヒトホーフェン


人生において大切なことは、「何のために生きているのだろうか?」と問うことではなく、「意味のある人生にするように努めること」だろう。

大須賀発蔵 「心の架け橋 カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ」

心の架け橋―カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ

心の架け橋―カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ



本当に、魂の書だと思う。

これほど深々とした感動を与える本は、めったにない。

この本にめぐりあえて本当に良かった。

著者の大須賀発蔵さんは、昨年お亡くなりになった仏教カウンセラーで、茨城で材木会社を経営しながら、不登校の子どもやその親御さんに長年カウンセリングをされてきた方。
たまたま、大谷光真門主の本を読んでいてそのお名前があげられていて、いつかその本を読んでみたいと思っていたら、昨年「こころの時代」で再放送があっておりとても感銘を受け、この本も探して読んでみたところ、本当にすばらしかった。

私がとやかく述べるよりも、この本を実際に多くの人に読んで欲しい。

しかし、この本の出版元の柏樹社という会社そのものがなくなってしまい、この本は絶版とは、なんとも惜しい話である。
どこか別の出版社に、どうかまた再販して欲しいものだ。

メモだけ書いても、この感動はおそらく伝わりにくいかもしれないけれど、以下の言葉は、私はいつも忘れないようにしたい、それこそ仏や菩薩のような言葉だと思う。

「広目の心で多聞する」

「自業に住する念仏」

「人生には寸分の無駄もない」

「仏教の言葉を難しい仏教経典の言葉を使わないで伝えることができたら、それこそ本当の仏典だ」

「宇宙現象の一切は仏の慈悲そのものであり、衆生を救うための方便である。」

「お互いのちがいを大切にするとき みんなの こころは 一つになる」

「人生の陰は光」