「お互いのちがいを大切にするとき みんなの こころは 一つになる」(大須賀発蔵)
"If we respect each other’s differences, everyone's hearts will be one."
(Hatsuzo Osuga, Japanese buddhist counselor)
"Se ni respektas reciprokajn diferencoj, ĉies koroj estos unu."
(Hatsuzo Osuga, Japana konsilanto)
「宇宙現象の一切は仏の慈悲そのものであり、衆生を救うための方便である。」
(大須賀発蔵)
Every phenomenon of the universe is the compassion of the Buddha itself,
And is Upaya (expedient means or pedagogy) to save all beings.
(Hatsuzo Osuga, Japanese buddhist counselor)
Ĉiu fenomeno de la universo estas la kompatemo de Budho mem,
Kaj estas Upaya (rimedoj aŭ pedagogio) por savi ĉiujn estaĵojn.
(Hatsuzo Osuga, Japana konsilanto)
武谷三男さんは若い時ロマン・ロランの一次大戦への批判の文章に影響を受けたらしい。大西巨人さんも『神聖喜劇』中に一次大戦反戦文学が言及。二次大戦で戦意高揚や戦争の熱狂に影響されず、独自のスタンスを保つことができた人は、一次大戦文学について深い教養があった人だったのかもしれない。
わずか百年ぐらいしか経っていないのに、シュトゥットガルト決議も、第一次大戦そのものも、だいぶ忘れられてしまったのだろうか。というより、もともと日本の場合、同時代にもほとんど認識も記憶も影響もそんなになかったのかもしれない。稀に深く受けとめる人がいた、ぐらいのことだったのだろう。
結果としてドイツは一次大戦で負けたけれど、リヒトホーフェンやミューラーやレットウらの事績が、人の心を奮起させたり、感動させるのは、どういうことなのだろう。たぶん人間はどのような立場であろうと、任務に忠実に、勇気を持って、正々堂々振る舞えば、後世の人の胸を打つということなのだろう。
どうしてドイツほど優秀な偉大な民族が、ナチスなんかにころっといってしまったのだろう。あらためて不思議で仕方ない。一次大戦のドイツの士官たちは、あんなにも立派でフェアな人々が数多くいたのに。敵のために墓碑を建てるリヒトホーフェンみたいな精神が、ナチのゴロツキには微塵もないよなぁ。。
さらさらと流れる川のように生きる、というのは、非常に至難なわざだと思う。坂村真民さんや甲斐和里子さんの詩や歌にはそのような心境のものがあるが、私はつっかかったり、過去への未練や固執がともすれば起きる。念仏の日暮らしの中で、少しずつでもそうした境地を仰いでいけたらいいけれど。
「強い信念をもて」(ボルケ、リヒトホーフェンの上官)
「私は常に変化を求める男です。これは一つの新しい変化であり、私にとり、得るところがあると思います。」(マンフレット・フォン・リヒトホーフェン)
人生において大切なことは、「何のために生きているのだろうか?」と問うことではなく、「意味のある人生にするように努めること」だろう。