最後まで読むと、本当良い小説だった。
1915年のルシタニア号の事件が背景となっている。
乗客の一人だった少女が主人公で、話自体はフィクションだけれど、第一次大戦を背景に、人間の良さも危うさも描かれていた。
ああいう戦争のさ中には、流される人と、まともでありつづける人と、両方いたのだろうとあらためて思う。
最後まで読むと、本当良い小説だった。
1915年のルシタニア号の事件が背景となっている。
乗客の一人だった少女が主人公で、話自体はフィクションだけれど、第一次大戦を背景に、人間の良さも危うさも描かれていた。
ああいう戦争のさ中には、流される人と、まともでありつづける人と、両方いたのだろうとあらためて思う。
意外と良い作品だったと思う。
映像も美しかった。
また、博多の景色がいろいろ出てきたのも良かったと思う。
生きるとは、人と心を通わせること、人を認め、愛すること、
というのは、そのとおりと思う。
心に残る映画だった。
無実の罪で死刑囚となった黒人の大男の人物が、実は人を癒す奇跡を起こす能力を持っているという物語。
刑務官の人々の苦悩を通じて、安易に死刑だと人を決めつける世間の偏見や思い込みの恐ろしさや、死刑制度の是非についてあらためて考えさせられる。
思うに、キリストが20世紀前半のアメリカにいたとしたら、という設定の物語なのだと思う。
ドラマ『オスマン帝国外伝』のシーズン3を今日見終わった。
毎回、楽しみに見てきた。
シーズン3を振り返ると、大宰相イブラヒムの唐突な処刑が、やはり最も衝撃的だった。
イブラヒムは実在の人物で、奴隷から身を起こし、28歳で大宰相になり、43歳で唐突に死刑となった。
史実でも皇帝スレイマンと大宰相イブラヒムの時期がオスマン帝国の最盛期だったそうで、スレイマンの対外政策が活発で成功していたのはすべてイブレヒムが生きていた時代までだった。
イブラヒムはスレイマンの妹のハティジェを妻としていたが、ドラマではハティジェも自殺して哀れだった。(史実では名前が出てくる史書があるぐらいで、ハティジェのことはあまり詳しくわからないようである。)
また、シーズン3の最終回では、皇子メフメトも突然死んでしまい、哀れだった。
栄耀栄華を誇った皇帝スレイマンも、腹心や子どもの死など、心痛の種は絶えなかったのだろう。
ドラマを見ながらあらためて興味深かったのは、オスマン・トルコが全く民族にこだわっていない様子である。
スレイマンの寵姫ヒュッレムはウクライナ出身の奴隷から一躍成り上がった人物だし、大宰相イブラヒムはギリシャのパルガ出身、イブラヒム処刑後の大宰相になったアヤスはアルバニア出身、ヒュッレムの娘のミフリマーフと結婚して宰相になったリュステムはクロアチア出身と、後宮や廷臣たちの民族構成は本当に帝国全土に渡り多様である。
のちの国民国家の時代以後の常識は全く通用しない、皇帝とイスラム教によってゆるやかに統合されていて、人種や民族とは関係なく能力と幸運さえあれば出世できるシステムだったのだなぁと、ドラマを見たり本を読んでてあらためてオスマン・トルコは興味深く思えた。
また、ドラマには法学者エブッスードも登場していたが、史実でもスレイマンはエブッスードと法制度の整備に努めたそうで、スレイマン没後は暗君が多かったオスマン帝国が、とにもかくにもゆるやかに衰退しながらもその後長く命脈を保ったのは、この時につくりあげられたシステムがそれなりによくできていたからだったようである。
スレイマンは「立法者」とも呼ばれていたそうだが、実質的な実務はエブッスードが担っていたようである。
あと、ドラマにはちらっと登場したぐらいであんまり登場しないが、建築家のシナンは天才的な建築家だったらしく、夢枕獏が小説にしているそうで、それもいつか読んでみたいと思った。
また、ドラマを見ながら印象的なのは、スレイマンが教養人であり、ムヒッビーのペンネームで多くの詩を書いていることである。
そういうのも、世襲の帝国の時代だったからこそありえたことで、もはや民主主義の世の中では一国の指導者がそのような教養人であることはあまり望むべくもないことなのかもしれない。
シーズン3ではまだ皇子ムスタファは存命だったので、これから先のシーズン4でムスタファの悲劇は描かれるようである。
シーズン4が日本のBSで放映されるのはいつになるのだろうか。
早く放映して欲しいと思う。
マイケル・モーパーゴ『フラミンゴボーイ』を読み終わった。
子ども向けの小説なのだけれど、内容は深く素晴らしかった。
第二次大戦中の南フランスが舞台で、ロマ人の少女と自閉症の少年が主人公で、フラミンゴがたくさん住む美しい湿地の自然を背景に、モーパーゴならではの語り口の物語が展開される。
ラストではいつものことながら泣かされた。
物語の中では、小学校の中でめずらしくロマ人を差別しなかった優しいユダヤ人の先生が強制収容所に送られて亡くなったことや、主人公のロマ人の少女の両親も強制収容所に入れられて健康を害して大変な目に遭う様子も描かれる。
ロマ人やユダヤ人や障害者などの「普通ではない」とされた人々が、残酷に迫害を受けて殺害されたのがあの時代でありナチスというものだったわけだけれど、二度とそういうことがないように、こういった良い物語を小さい頃から、あるいは大人になってからであれ、いろんな人に触れて欲しいと願うばかりである。
安倍首相が辞任の意向を固めたそうで、長かったなぁというぐらいで特に何の感慨もないのだけれど、安倍政権の時代とその前とで比較した場合、ひとつ気になることがある。
それは、安倍政権よりも前と比べて、安倍政権の時代になってから、権力者に媚びへつらい阿る人間が異常に多くなったということである。
その点が、この長期政権の間に、大きく日本が変わった気がすることである。
かつてはこんなには多くはなかったと思う。
なんだか弱きを挫き強きを助く、それがかっこいい、とでも言うような、倒錯した人々が随分と増えた。
べつにそれは安倍さんのせいではないのかもしれないが、「忖度」という、権力への媚びへつらいが横行し、良心や廉恥心が蝕まれた時代だったと思う。
これから先、誰に首相が変わろうと、そういう日本の堕落した気風がますます進行するならば、何にも良いことはあるまいと思う。
政治ではそういったところはあまりどうにも変えることはできないとも思われるので、やはり各自の一般市民が日常生活で、そういうのは恥だということを思い、各自が誇りと良心を忘れずに生きていくしかないのだろう。
この先、誰が首相になろうと、たとえ今現在野党である人々がそのうち政権に就く日があったとしても、いずれにしろ、これ以上「忖度」が流行し浸透する世の中にならず、良心が大切にされる世の中であって欲しいと願うばかりである。
前半では、主人公のアメリカ人の記者と友人のカンボジア人の記者が、ポルポト派が侵攻してきて占領するプノンペンにいる様子が描かれる。
はじめはあそこまでポルポト派がひどいとは、市民や報道記者たちもよくわかっていなかったようである。
後半は、アメリカ人の記者たちは出国に成功したものの、カンボジア人の記者は出国できず、筆舌に尽くしがたい苦難をポルポト支配下のカンボジアで過ごすことが描かれる。
ラストはとても感動させられるものがあった。
ただ、良い映画だったのだけれど、あらためてあの悲劇はいったい何だったのだろうと暗澹たる思いになった。
今日に見た時も、ポルポト派の狂気とその時代の悲劇について、あらためて考えさせられる、貴重な作品と思う。