東京五輪の音楽担当者の過去の言動についての雑感

東京五輪の開会式の音楽制作に小山田圭吾という人が参加していたそうだが、その人の過去のいじめについて、最近問題になっていた。

さほど関心がなかったし、その人についてよく知らなかったので、そこまでひどいものとは思っていたなかったら、ネット上にそのいじめについて本人が語った過去の記事が紹介されていた。

https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1

これはひどい。。
ここまでひどいとは。
ただただ絶句した。

なんでこんな人を五輪の担当に起用したのだろうか。
完全な人選ミスとしか言いようがない。
しかも、このブログも相当に前のもので、調べようと思えばこうした情報が十分に調べられたであろうに。

小山田圭吾氏が書いているようないじめは、私が通っていた中学や高校では全く見たことがない。
こんなひどいことが行われていたら、さすがに必ず誰かが注意したし、そのような状況を許さなかったと思う。
こんな腐った中学や高校って本当にあるのか。。
本人だけでなく、その周囲も腐っていたのでは。

義を見てせざるは勇なきなり、という精神は、こういう東京の私立中高一貫校には、しばしば欠如したものなのだろうか。
田舎だったら、普通に義を見てせざるは勇なきなり、ということを知っている人が複数はいるものだと思う。

なんというか、やっぱり日本はあちこちの人心が根本から腐敗腐朽しているのではないかと、小山田圭吾氏の話を知って思った。
やっぱりあちこちの根本が腐っていることが、諸般の問題の根源なのだと思う。
教育から立て直さないととどうにもならんのだろう。

できれば聖書を叩きこんだ方が良いと思うけれど、それがだめならば、せめても論語ぐらいは小さい頃から誰にでも叩きこんだ方が良いのではないか。
「己の欲せざることを人にほどこすことなかれ」と「義を見てせざるは勇なきなり」の二つだけでも叩き込めば、だいぶ変わると思う。

このような腐敗した人心や人選がまかりとおるようであれば、仮にコロナがなかったとしても、東京五輪など虚偽と腐敗の祭典にしか過ぎず、亡国の徴でしかなかったろう。
せめても人選の誤りだけでも事前に正されて良かったが。

やっぱり、人心の腐敗が日本の根本問題と思う。
聖書か論語か仏典か、いずれでも良いが、せめてもまともな人間性や道徳を立て直さないことには、この国の腐朽と衰退と壊滅は不可避ではないかと思う。