箴言を読んでいて、いかにも箴言といった気がする言葉があった。
Food gained by fraud tastes sweet,
but one ends up with a mouth full of gravel.
(Proverbs 20.17)
欺き取ったパンはおいしい、
しかし後にはその口は砂利で満たされる。
(箴言 第二十章 第十七節 口語訳)
欺き取ったパンはうまいが
後になって口は砂利で満たされる。
(箴言 第二十章 第十七節 新共同訳)
偽りによって得たパンは人にとっておいしいが、
その人の口は後に砂利で満たされる。
(箴言 第二十章 第十七節 自分訳)
アレヴ・ライッシュ・レヘム・シャーケル・ヴェアハル・イマレー・フィーフ・ハツァッツ
本当にそのとおりと思う。
そうであればこそ、人はまっとうにしっかりと生きるべきなのだろう。
この箴言は深読みすれば、ただ詐欺や盗みを戒めているだけではないのかもしれない。
たとえば、世の中には、一応合法的だが、濡れ手に粟のような給料をもらう仕事もある。
天下りや給料泥棒だと言われる人々がよくマスコミを騒がせている。
中には行き過ぎたバッシングもあるかもしれないが、ある程度はそのようなひどい事例も実際にあるようである。
それらも、国の法律によっては盗みとはされないかもしれないが、神の目から一種の詐欺であり、盗みかもしれない。
国のためにならぬ言説を撒き散らして、憎悪や劣情を煽り、それによって収益をあげるようなマスコミや政治家も、そのような類になるのかもしれない。
まっとうに、自他や世の中にとってプラスになることをして、そのことによってまっとうに生きていく。
そのような人のパンは、その時もおいしく、のちにもおいしいものなのだろう。
一方、自他や、あるいは世の中にマイナスのことをしている人々は、必ずその口は砂利を噛むことになるのだと思う。