現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十節




浄土の地上や空中には、聖なる人たちがたくさんいて、
(浄土への往生を願います)


自然に宝石や珠玉を連ねた網がかかっていて、
(はかりしれない喜びよ)


そよ風がその網を吹くと、すばらしい響きが鳴り渡り、
(浄土への往生を願います)


その音楽は、すべて涅槃の教えを説いています、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の宝石でできた樹木を見たり、宝の池の波の音を聞けば、悟りが成就します、
(浄土への往生を願います)


浄土の子どもたちは花を持って阿弥陀如来を囲んで讃嘆します、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の子どもたちは阿弥陀如来の側に立って説法を聞き、
(浄土への往生を願います)


仏法を聞く喜びをこそ愛して時間が経つのを忘れます、
(はかりしれない喜びよ)


浄土のさまざまな菩薩たちに付き従っていけば、
(浄土への往生を願います)


どこもかしこも涅槃の世界です、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の浄土の範囲は皆、その説法を聞き、
(浄土への往生を願います)


他の世界を訪れてめぐり、供養を修行します、
(はかりしれない喜びよ)


その世界に留まりたいと思えば、一度の食事の時間だけで千劫もの長い時間を超えて滞在することができます、
(浄土への往生を願います)


私たちの娑婆国土(地上世界)にいる私達念仏者を思ってくださるからです、
(はかりしれない喜びよ)


この大地を微塵にくだいても、なお数には限りがあります、
(浄土への往生を願います)


しかし、十方のさまざまな方角にある仏の国土の数は限りありません、
(はかりしれない喜びよ)


そのひとつひとつの仏の国土はみな清らかに荘厳されています、
(浄土への往生を願います)


それぞれに、西方極楽浄土のようであって、特に異なるところはありません、
(はかりしれない喜びよ)


すべての如来は遇えば歓喜してくださり、
(浄土への往生を願います)


菩薩や聖なる人々もそれらの国土を案内して観光させてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


あらゆる荘厳は極楽のようで、
(浄土への往生を願います)


神通力によるさまざまな変化は何の妨げもなく自由自在です、
(はかりしれない喜びよ)


それらの国土の地上と空中には声があまねくみちわたっています、
(浄土への往生を願います)


その響きや音を聞く者は、みな悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


念仏を称え続けて師の恩に報いなさい、
(はかりしれない喜びよ)


お金や財産をお布施して功徳を積むといっても、
(浄土への往生を願います)


戒めを守り、貪りと瞋恚を断ち切る功徳には及びません、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく生きとし生けるものを敬って、常に念仏し、
(浄土への往生を願います)


自分や他人の功徳をあわせて回向すべきです、
(はかりしれない喜びよ)


信心が定まって浄土に往生するならば、
(浄土への往生を願います)


煩悩によって閉じ込められた籠のようなこの三界からこの身は脱出します、
(はかりしれない喜びよ)


臨終の時には、仏の蓮の花の台(うてな)が至るのを見て、
(浄土への往生を願います)


ほんのわずかの時間ですぐに宝の池の中の集まりに入ります、
(はかりしれない喜びよ)


宝の池の中の蓮の花の上にいる多くの人々は皆喜んでくれて、
(浄土への往生を願います)


天の衣を与えてくれて、自分の望むとおりに着せてくれます、
(はかりしれない喜びよ)


菩薩や阿羅漢たちが導いてくれて阿弥陀如来に会わせてくれます、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来を一回礼拝すると、生と死の二つを離れた悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来は、さまざまな仏の子に告げておっしゃいます、
(浄土への往生を願います)


「極楽は今までの三界での暮らしと比べてどうですか?」と、
(はかりしれない喜びよ)


新しく浄土に往生してきた者も、すでに浄土に往生している者も、両方答えようとしても、
(浄土への往生を願います)


過去のことを悲しみ、涙にむせんで、ただ阿弥陀如来に合掌するばかりで声が出ません、
(はかりしれない喜びよ)


娑婆世界でのはかりしれない長い長い苦しみからやっと解放されることができ、
(浄土への往生を願います)


今日、阿弥陀如来にお会いすることができたのは、釈尊のおかげです、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


仏の言葉に素直に従えば、阿弥陀如来の御姿を見ます、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく同じく往生を願う御同行の方々にお勧めします、
(浄土への往生を願います)


御同行はお互いに仲良くしあって、決して分離してはなりません、
(はかりしれない喜びよ)


たとえ父や母や妻や子が百千万人いたとしても、
(浄土への往生を願います)


悟りの道に進むことを助ける縁とはなりません、
(はかりしれない喜びよ)


瞬間瞬間の心に煩悩となって纏わりついて、悪い世界に生まれ変わるきっかけになります、
(浄土への往生を願います)


それぞれに別々の人間であり、それぞれの業の結果を受けて生まれ変わっていけば、お互いに少しも知らない者同士となるのです、
(はかりしれない喜びよ)


場合によっては、猪や羊や牛、馬、鶏、犬の中に生まれ変わって、
(浄土への往生を願います)


そうした動物の毛を纏ったり、角を生やしたり、輪廻し続けてきたわけです、
(はかりしれない喜びよ)


なんというよろこばしいことでしょうか、人間の身を得ることができ、本願念仏のみ教えを聞き、
(浄土への往生を願います)


すぐに娑婆という他郷を捨てて浄土という故郷に帰ることができることは、
(はかりしれない喜びよ)


親子が再会することは、たとえようもない喜びです、
(浄土への往生を願います)


菩薩や阿羅漢たちも同様に会えば喜んでくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


菩薩や阿羅漢たちは、案内してともに散歩して宝の林の中を見せてくださり、
(浄土への往生を願います)


他の菩薩や阿羅漢は、蓮の花の台(うてな)に一緒に坐ったり、あるいは宝石でできた楼閣を案内して登らせてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の七宝でできた国土を観光して見てみると、
(浄土への往生を願います)


地上と空中の菩薩や聖なる人たちがお互いに光で照らしあっています、
(はかりしれない喜びよ)


神通力を発揮して、浄土の中のあちこちを行き来して、
(浄土への往生を願います)


あちこちではかりしれない説法の集まりをつくり、供養しています、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつひとつの説法の集まりは、その人に合せたものであり、自由に入ることができ、
(浄土への往生を願います)


その入った先の説法の場では、ただ平等の慈悲の教えを聞きます、
(はかりしれない喜びよ)


行住坐臥、常に高度な集中状態にあり、
(浄土への往生を願います)


高度な集中状態を保ちながら、神通力を発揮します、
(はかりしれない喜びよ)


それぞれの神通力によって、阿弥陀如来の説法の集まりに到着し、
(浄土への往生を願います)


さまざまな説法の場において教えを聴いて、生と死の二つを離れた悟りを開きます、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


極楽は安らかに過ごすために本当に巧みですぐれたところです、
(はかりしれない喜びよ)


金でできた楼閣、玉でできた柱、瑠璃でできた宮殿、
(浄土への往生を願います)


真珠などの宝石でできた建物、それらが数百、数千と並んでいます、
(はかりしれない喜びよ)


幾重にも重なっている宝石の網が、お互いに映り合って、
(浄土への往生を願います)


宝石でできた縄が張りめぐらされて、鈴と飾り玉が垂れています、
(はかりしれない喜びよ)


昼も夜もかぐわしい風が吹いて、時々それらを動かすと、
(浄土への往生を願います)


仏法僧の三宝の名を称える声が響きます、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の生きとし生けるものはすぐれた心の眼が開いています、
(浄土への往生を願います)


一言を聞くだけで、百や千もの教えを理解し悟ります、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


安らかに過ごすにはここに及ぶところはどこにもありません、
(はかりしれない喜びよ)


さまざまな浄土の子どもたちとともに空を飛んで遊んで、
(浄土への往生を願います)


手にお香や花を持って舞い散らせて、心に供養します、
(はかりしれない喜びよ)


身体から放たれる光と、宝石を連ねた首飾りが、お互いに照らし合っています、
(浄土への往生を願います)


あらゆる荘厳の光もまた同様です、
(はかりしれない喜びよ)


もしくは、楽器を演奏して仏を供養してさしあげると、
(浄土への往生を願います)


仏の化身が慈悲の心から将来は必ず悟りを開くと予言し約束してくれます、
(はかりしれない喜びよ)


同じく往生を願う者たちは、百千万もの数にのぼります、
(浄土への往生を願います)


花びらの上に乗って、すぐに空中における説法の座に加わることができます、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつひとつの説法の座は異なっていて、何億も無数の数にのぼります、
(浄土への往生を願います)


誰も彼も、お互いに通り過ぎても、なんの妨げもなく自由自在です、
(はかりしれない喜びよ)


あらゆる時において、常に説法がなされており、
(浄土への往生を願います)


仏を見、聞いて、歓喜して、罪業は皆取り除かれます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来と浄土の聖なる人々は、金色の身体です、
(浄土への往生を願います)


それぞれの光はお互いに照らしあって、お互いに知り合っています、
(はかりしれない喜びよ)


身体に具わっている三十二相八十種好の特徴や、荘厳は、特に異なったところはありません、
(浄土への往生を願います)


それらは皆、阿弥陀如来の本願の働きによって成就されています、
(はかりしれない喜びよ)


浄土では、地上にも、空中にも、浄土の住人が満ち満ちていて、
(浄土への往生を願います)


神通力の発揮や、それによるさまざまな変化を、お互いに自然に理解して知っています、
(はかりしれない喜びよ)


場合によっては、神通力で花でできた楼閣や宝石を雲のように散りばめた天蓋をつくり、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の化身である鳥が声を連ねて、真理の音を奏でています、
(はかりしれない喜びよ)


真理の音は響きめぐって、雲のように調和しています、
(浄土への往生を願います)


浄土の人々や神々は、その音を聞いて、すぐに悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


長い時間、もっと長い時間、はるかに長い時間に、
(浄土への往生を願います)


ただ仏法を聞く喜びを受けて、思いはかることもできません、
(はかりしれない喜びよ)