現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第九節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第九節




浄土の地の上のさまざまな宝は混じりあって荘厳しています、
(浄土への往生を願います)


さまざまな色が相混ざって、百千万もの色となっています、
(はかりしれない喜びよ)


宝石でできた椅子や、蓮華の台座があちこちに満ちています、
(浄土への往生を願います)


心のままにそれらを用いると、光がやって来て照らしてくれます、
(はかりしれない喜びよ)


百、千の浄土の子どもたちや、菩薩たちが、
(浄土への往生を願います)


それぞれにお香や花を捧げ持って池のところにやって来ます、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は坐り、ある者は立って、池から流れ出る小川のほとりにいます、
(浄土への往生を願います)


ある者は、階段に沿って降りていって、宝の池に入ります、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は、砂の上に立ったり、あるいは膝まで宝の池に入ったり、
(浄土への往生を願います)


ある者は腰まで池につかり、あるいは水を頭からかぶったりします、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は金色の蓮華やさまざまな宝石でできた葉っぱを取り、
(浄土への往生を願います)


岸の上で池を見ている人に手渡します、
(はかりしれない喜びよ)


千万種類ものさまざまなお香や花々をそこでは受け取ることができ、
(浄土への往生を願います)


それらを阿弥陀如来の御法座の上に舞い散らせます、
(はかりしれない喜びよ)


舞い散った花びらは空中にかかる天蓋に変化し、
(浄土への往生を願います)


自然に音楽が千にも重なり合って響き渡ります、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の変化身である宝の鳥が声を連ねて天の音楽を奏でます、
(浄土への往生を願います)


それらの光景を見る者は、すべてあわれみの心(カルナー)を起こします、
(はかりしれない喜びよ)


私がいまここに至ることができたのは仏の本願の働きのおかげです、
(浄土への往生を願います)


同じ阿弥陀如来の御縁をいただく御同行は、いつここにやって来るのだろうか、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく願います、地上の人間の世界にいる師友たちが、
(浄土への往生を願います)


御同行としてお互いに仲良くし合って、往生の願を持って生きて、退転することがありませんように、
(はかりしれない喜びよ)


専ら『無量寿経阿弥陀経』や『観無量寿経』などを読誦し、
(浄土への往生を願います)


仏を礼拝し、仏の御姿や浄土の様子を観察して、それらの功徳をすべて回向すべきです、
(はかりしれない喜びよ)


あらゆる時においてそれらのことを続けて、
(浄土への往生を願います)


この一生が終わる時までの間、専らこのことに専心しなさい、
(はかりしれない喜びよ)


一たび、阿弥陀如来の浄土に至ったならば、
(浄土への往生を願います)


自由自在に過ごして、究極的には涅槃に達します、
(はかりしれない喜びよ)


涅槃の荘厳があちこちに満ちていて、
(浄土への往生を願います)


それらの色を見たり、香りをかぐと、罪業の妨げが取り除かれていきます、
(はかりしれない喜びよ)


空中を自由自在に飛行して神通力を現し、
(浄土への往生を願います)


浄土の思いはからいを絶したすばらしさを讃歎します、
(はかりしれない喜びよ)


あるいは、お香や花びらを舞い散らせて仏を供養し、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の慈悲の恩徳に報いたいと思う心は尽きることがありません、
(はかりしれない喜びよ)


釈迦如来の働きによるのでなければ、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の浄土をどうして聞くことができたでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)


生きとし生けるものは、その煩悩の妨げが尽きて無くなれば、阿弥陀如来の浄土を聞いて皆喜びます、
(浄土への往生を願います)


すぐにさまざまな悪を断ち切って、往生を願い求めなさい、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)



「広大な讃歌」



「浄土の讃歌」



誓願を起して、この人生において、仏教に従い、
(はかりしれない喜びよ)


行住坐臥において、専ら念仏し、
(浄土への往生を願います)


すべての善業を合わせて回向すべきです、
(はかりしれない喜びよ)


瞬間瞬間の思いにおいていつも懺悔するならば、
(浄土への往生を願います)


命が終わる時には即座にダイヤモンドでできた台(うてな)の上にのぼります、
(はかりしれない喜びよ)


すべての時において西方を望み礼拝し、
(浄土への往生を願います)


凡夫の心と阿弥陀如来の心が向かい合っていることを表現し認識しなさい、
(はかりしれない喜びよ)


仏は、生きとし生けるものの心が散乱し乱雑であることを見抜いて、
(浄土への往生を願います)


ひとえに正念を持って西方浄土に住みなさいと教えられました、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の浄土への距離を知らないのであれば、
(浄土への往生を願います)


仏は「西方十万億の世界を過ぎたところ」だとおっしゃられました、
(はかりしれない喜びよ)


道のりははるかとはいえ、足で歩いて至るわけではないので、
(浄土への往生を願います)


パチンと指を弾く間に宝の池に入ることになります、
(はかりしれない喜びよ)


ただ、疑うべきでないことを疑うものたちを残念に思います、
(浄土への往生を願います)


浄土は向かい合って決して拒みはしません、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来が救いとってくださるかどうかを論じてはなりません、
(浄土への往生を願います)


救いは、意識を専念して回心するか回心しないかによります、
(はかりしれない喜びよ)


ただ回心して、阿弥陀如来に向かって信心が定まるならば、
(浄土への往生を願います)


臨終の時には、花でつくられた天蓋が自然と迎えにやって来ます、
(はかりしれない喜びよ)


仏に従って、花びらの上に乗って、宝でできた浄土の国に入ります、
(浄土への往生を願います)


さまざまな浄土の人々を見て、生と死の二つを離れた悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


自由に入りたいと思えばそれぞれの宝でできた楼閣に入ることができ、
(浄土への往生を願います)


それらの楼閣の内側と外側の荘厳の美しさははかりしれません、
(はかりしれない喜びよ)


鳥が美しく囀れば、菩薩がそれにあわせて舞い、
(浄土への往生を願います)


浄土の子どもたちは歓喜して、さまざまな神通力を発揮します、
(はかりしれない喜びよ)


この私たちの娑婆世界から浄土に往生したもののために、
(浄土への往生を願います)


さまざまな供養をしてくれて歓喜させてくれます、
(はかりしれない喜びよ)


仏が、浄土に往生した人を引率して浄土を見学させてくださり、
(浄土への往生を願います)


いたるところにただただ不思議を発見します、
(はかりしれない喜びよ)