現代語私訳『福翁百話』 第六十九章 「人の心が変わる機会について」
心機一転、突然悟るということは、仏教者などがいつも説いていることです。
極悪非道の大盗賊が、ある法話を床の下で漏れ聴いて、突然仏教を求める心を起こしたというようなことも、格別珍しいことというわけではありません。
人の心がまさに動こうとする瞬間に、何かの導くものがあれば、ちょうど火薬に火をつけるようなもので、善悪の表と裏がひっくり返されるものでしょう。
ですのが、別の方向から見れば、心が変わることはそんなに急なことではなく、徐々に少しずつ変化が加わる間に、知らず知らずのうちに思想が変化するという事例も非常に多いものです。
たとえるならば、最初は別になんということはなくたまたまその家の門の中に入り、門の中の景色のすばらしさに帰ることを忘れ、ついにその家の人とお互いに仲良くなったというようなものです。
昔の江戸幕府の末期に、攘夷や鎖国の議論の真っ只中、西洋の文明の話は世間の人は耳に全然入れようとしなかった時代に、松前伊豆守崇広(蝦夷松前藩藩主)という大名がいました。
はじめは普通の大名であって、特に有名というわけでもなかったのですが、名門貴族によくあることとして、さまざまな趣味がその殿様にもあり、その中でも特に時計を好んでいました。
それで、開国したばかりの頃に、横浜あたりからさまざまな品を取り寄せて側に置き、毎日朝も夜も時計で遊んでいました。
そのうちに、その時計の製造地や製造所の様子などを、人にも聞き、書物によって調べさせたりなどして、この上ない楽しみにとしているうちに、いつの間にか西洋の事情に心をとめるようになりました。
そして、西洋諸国は必ずしも野蛮なものではないと気付きました。
それからは西洋の学問を学ぶ学者にも広く接し、翻訳書をも読み、次第に西洋の文物や習俗を明らかに知るようになりました。
そして、西洋の文明を知れば知るほど、心に感じ入ることが深く、ついに純粋な開国論者の大名の一人となりました。
当時は国家が大変な時期だったこともあり、幕府の老中に任命されるまでになりました。
また、同じ時代に、成島柳北という旗本の武士がいました。もともとは儒学者で詩や文章が上手な人だったのですが、この人の趣味に古いお金を集める収集癖がありました。
それで、その鑑定もまた大変上手なものでした。
さまざまな古い珍しいお金を集め、日本や中国のものはすでに網羅し尽くしてしまいました。
それで、その頃は開国されたばかりの頃で、さまざまな外国の品々を見る中に、そのお金も非常に面白いとすぐに興味を持ち、西洋諸国の古今の通貨を集めてとても喜んでいました。
そのうちに、そのお金の出てくるところを尋ねて、その国の国柄を問い、そのうちに歴史などを自然と知りたいと思うようになり、特にこの人物は読書の才能がある人だったので、翻訳書を苦も無く読んで、だんだんと西洋の事情を明らかに知るようになり、ついに古い儒学を脱皮して西洋文明の思想に移り、当時は西洋文明の率先者として世の中に名を知られていました。
漢字に翻訳された万国公法(国際法)の一部を、日本にはじめて輸入したのはこの成島柳北氏です。
そのことによっても、その志がどこにあったかを理解できるものでしょう。
ですので、松前伊豆守の時計、成島柳北の古いお金、そのはじめは単なるひとつの趣味に過ぎず、深い意味もないことでしたが、秘蔵のコレクションをいじくって一人で楽しむうちに、知らず知らず心が駆けめぐる範囲が広くなり、ついに文明の門に入ったのは、趣味のコレクションに釣り出されて心が変化したものだと言えます。
はたしてそうであるならば、今日においても世の中の先端を歩む人々が、人々を文明開化に導こうとして思うとおりにならないことも多いことしょうが、その時は正面より論破して逆に人を怒らせることをやめて、むしろ裏側に回ってその人の生まれつき好むところや習慣で慣れていることを観察し、その道から次第に近づき、徐々に深く入らせていって、ついにその人を変える方法があることでしょう。
文明を学ぶ人が、特に注意すべきことです。