「今日は何の日」を見てたら、今日6月30日は、
1898年大隈重信が8代内閣総理大臣に就任し、第1次大隈重信内閣(隈板内閣)が発足。日本初の政党内閣。
の日だそうである。
ちょうど一昨日、NHKの「さかのぼり日本史」で、この隈板内閣をとりあげていた。
やっと藩閥から政権の座を奪取し、初の政党内閣をつくったというのに、大隈派と板垣派が権力闘争ばかり行い、わずか四か月で自滅した。
当時は軍備拡張が至上命題だったが、地租の増税を農村が基盤の政党政治は行うことができず、地租の分を砂糖などの消費税増税でまかなおうとしたら、世論の猛反発をくらったことも、早期瓦解の原因だったそうである。
なんというか、不気味なほど、今の世と似ている気がする。
大隈さんと菅さんが、板垣自由党と小沢派が、ある程度重なって見える。
私自身は、あの時代の政治家では伊藤博文がその構想力や政治力において卓越していたと思うし、最も評価に値すると思うので、大隈はそれと比べれば若干残念なような、板垣にいたっては全く現実政治に向いてなかったのではないかと思われるけれど、第一次大隈内閣はもうちょっとうまくできなかったものかと残念に思われてならない。
解説の御厨先生が、政治家も国民も政党政治の基盤を当たり前にあるものと思ってはならず、不断にその質を高めるように努力しないと案外と脆く儚いもので、そういう教訓を第一次大隈内閣やその後の戦前の政党政治の歴史は教えていると言っていたけれど、本当にそのとおりと思う。
つまらぬことで第一次大隈内閣の足を引っ張り、瓦解に持っていった板垣自由党の愚を、今の民主党内部の不平不満派は繰り返さないようにして欲しい。
とはいえ、残念ながら、一昨日の両院協議会の様子を見ていても、小沢派は板垣自由党に実によく似ているのかもしれない。
彼らには、90年代の新進党瓦解の歴史すら忘れ去られているようなので、いわんや明治や大正の憲政の歴史の知識や教養を求めることは酷に過ぎるかもしれない。
菅総理は、同じ長州出身の郷土の先輩である伊藤博文ぐらいは、しぶとく生き残ってくれるだろうか、それとも大隈さんのように無念ながらも短い期間で退陣に追い込まれるのだろうか。