「最終的に万が一事故が起こった場合の国民の皆さんの安全を確保する責任を負っている内閣総理大臣」「その責任感の問題」

停止要請への批判 枝野氏反論
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110510dde001040046000c.html



ちょっとこの毎日のネット上の記事は要点だけがまとめてあるけれど、浜岡原発に関する記者会見は、以下の内容だったらしい。


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浜岡原発

 ――日本経団連の米倉会長が記者会見で、浜岡原発の運転中止を要請したことについて、その過程がブラックボックスだと批判していたが。受け止めは。

 「米倉会長のご発言については直接うかがっていないので、コメントは避けたいと思っている。その上で、様々な今回の経産大臣、総理の決断を踏まえての経産大臣からの中部電力に対する要請については様々なご意見はあるんだろうと思う。しかし、最終的に万が一事故が起こった場合の国民の皆さんの安全を確保する責任を負っている内閣総理大臣、あるいは経産大臣という立場からは一定の批判があったとしても、国民の皆さんの安全を最優先して責任をもって判断するということは私は当然のことだろうと思っていて、やはりそこは万が一の事故があった時に、誰が責任をもって国民の生命、健康を守るのか。その責任感の問題だ」


 ――見えないところで議論されていたことに対しては、どう考えるか。

 「議論のあり方、仕方については様々な考え方あろうかと思うが、様々な意見を踏まえて、経産大臣として、総理大臣の意思を踏まえて中部電力に要請をするという結論と、その結論の背景になっている国民の生命、健康をしっかり守るという責任ということの中において、その議論の経過ということについてのご批判は、ちょっと私にはあまりピンとこない。その結論自体に異論がある方がいらっしゃることについては私は当然、様々な意見あるんだろうと思うが、まさに権限というか所管をしている経産大臣と、まさに国民の万が一の事故の場合の国民の生命、健康に責任をもっている総理大臣が様々な意見も踏まえた上で政治決断をしたということ」


 ――総理の要請には法的根拠がない。原発を停止できるような法的権限をもつような法改正の必要性については。

 「いつも申し上げているが、原子力政策全般のあり方については、今回の事故の検証を踏まえて、しっかりとゼロベースで議論すべきだと思っている。そうしたことの中で、いま指摘頂いたことも議論のテーマになりうるのかもしれないと思っている」

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http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105100212.html


「しかし、最終的に万が一事故が起こった場合の国民の皆さんの安全を確保する責任を負っている内閣総理大臣、あるいは経産大臣という立場からは一定の批判があったとしても、国民の皆さんの安全を最優先して責任をもって判断するということは私は当然のことだろうと思っていて、やはりそこは万が一の事故があった時に、誰が責任をもって国民の生命、健康を守るのか。その責任感の問題だ」

私は、枝野さんが言うとおりだと思う。

日本国憲法十三条には、

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

とある。

つまり、国民の生命を、政府は最優先して国政の上で配慮し、守るために最大の努力をなさねばならない。

浜岡原発の危険性については、多くの識者が指摘する通り、日本全国の原発の中でも最も高い。

一昨日のnews23でも、2006年に北陸の志賀原発差し止め判決を出した井戸謙一元裁判長が出て、志賀原発よりも浜岡原発の方が危険だと認識してきたことを述べていた。

国民の生命が大事だと思えば、当然の決断だと思う。

菅首相の英断あればこその浜岡原発停止の実現。

菅首相の決断とリーダーシップを高く評価し、脱原発派は菅首相を支持し、バックアップすべきと思う。