Nスペ 「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」

(2010年8月記す)


Nスペの「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」を見た。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/100619.html?from=tp_ac01

若泉敬さんは、佐藤内閣の時に密使として沖縄返還交渉にあたった人物。
しかし、戦後、沖縄の米軍基地が固定化してしまい、米兵による犯罪が後をたたないことに心を痛め、1994年に自らの交渉の内幕を描いた回想記を出版するがメディアから黙殺され、1996年に自死した。

交渉時、アメリカは本当は核密約を必要とせず、沖縄に核を配備しなくても十分に核抑止を維持できる技術や戦力を達成していたが、日本に沖縄の米軍基地を無期限で自由に使用させるために外交戦術として強硬に核密約を主張したそうである。

そのことが、のちに沖縄返還後だいぶ経ってからわかり、若泉さんは大変ショックを受けたそうだ。

また、佐藤栄作の日記に、本当はもっと書かれるべきだったはずのさまざまな記録がごそっと省略されているのを知り、そのことにもショックを受けていたとのこと。

日米の交渉のはざまにいて、一番苦労苦心し、アメリカの外交戦術に敗れ、かつ沖縄の問題の本当の解決にさほど熱心でもない日本の政府との間で、一番傷ついたのが若泉さんだったのかもしれない。

若泉さんは、沖縄問題ときちんと向き合おうとしない返還後の日本本土のことを「愚者の楽園」と言っていたそうだ。

たしかに、沖縄で繰り返される米兵の犯罪に対してもなんらの心の痛みを感じず、他人事としてすまし、基地の移転分担も断り、自分たちだけ平和を享受して恥じない本土のありさまは、「愚者の楽園」としか形容できない、恥ずべきものなのかもしれない。

しかし、大多数の日本人は、そのことに恥すら感じず、愚者の楽園と気づく感性や廉恥心すら失いつつあるのかもしれない。

そのことに目をつぶり心をなくすことができず、一死をもって抗議した若泉さんは、戦後の日本人には珍しい、古武士のような方だったのではないかと、番組を見ていて感じられた。

私はまだ読んでないのだけれど、いつか若泉さんの回想録も読んでみたいと思った。