(2009年 11月記す)
一見対極にいる感のある思想家だけれど、案外とそうではないのかもしれない。
石川三四郎が、昭和11年に書いた「紛失された個人主義」という文章がある。
言論の自由や個人主義・自由主義を熱烈に擁護し、自主的批判性を欠く日本人の気風や当時の世相を痛烈に批判したものだけれど(昭和11年という当時の時代背景を考えるとすごい度胸だ)、
その中にこんな一文があった。
「福沢諭吉先生は、この日本人の最大欠点に気付かれて、徹底的個人主義を説き且つ実践した人であった。
最近、思想問題のやかましかった時に、日本の教育の無力有害なことが叫ばれたが、私の見るところを以てすれば、それは日本の国家教育がこの重要な個人主義を無視し且つ破壊した結果である。
義務教育年限の延長なぞということは問題ではない。
個性と自由とを尊重すべき教育の大本を忘れて何の改革ぞや。」
(著作集三巻 420頁)
こうした文章を読むと、石川は、みずからの個人主義・自由主義の先達として、また危機の時代における思想的な大きなよりどころとして、福沢諭吉を考えていたようである。