(二年半ほど前に聴いた講演のメモ)
久留米市のN病院で、ガンについてのH先生の御話を聴く勉強会に行ってきた。
H先生はとてもユニークな先生で、ガンについて、単に手術や投薬ではなく、生き方から見つめなおした予防を提唱されている。
患者さんやその家族、あるいは興味のある人などが勉強会には来ているようで、全国的にも珍しい試みだそうだ。
御話の内容は、以下のようなものだった。
よく、ガンは遺伝子によるというけれど、遺伝子が悪いわけではない。
遺伝子というのは、いわばパソコンのソフトみたいなもので、毎日使っている。
だから、長く生きてみないと、遺伝子にどんな情報がこめられているのか、本当のところはわからない。
一生涯生きてみないと、ゲノムがどういう中身かはわからない。
遺伝子や身体というのは、毎日なんらかの意味でダメージを受けたり傷ついたりしている。
しかし、それを修復する力が遺伝子には備わっている。
その修復機能のことを、再生医療などと呼ぶわけだけれど、これがうまくいかなくなることがいわゆる「ガン」である。
忙しすぎるとガンになる。
起きてる時間が長すぎる人、休まない人、昼夜が逆転している人、なども修復がうまくいかなくなりやすい。
生きていることのストレスで、傷つく人が多い。
働きすぎると、ガンになりやすい。
だから、一生涯ゆっくり生きる、きれいに生きることが、ガンを予防する。
しかし、現代では、「生き方をゆっくりする」ことは至難の業である。
ガンを手術で切除しても、生き方が変わらず、生活が同じならば、またダメージが大きくてガンができてしまうことが多い。
「焦らない方がいい、じっくりしっかりやった方が、自分のためになる」ということをよく知るのが大切。
「病気」というのは、生き方を見つめなおすチャンス、生きるということを考えるチャンスでもある。
現代人は、なかなか病気にでもならない限り、そうしたことを見つめなおすこともない。
自分が「底力」がある、と感じられると、回復する力も強い。
逆に、自分に「底力」がないと思うと、へなへなとなってしまう。
そして、「底力」を培うには、臨死体験やある種の神秘体験などが一番良い。
そして、病気の時こそ、そうした体験に一番恵まれやすい。
「遺伝子は決定論ではない。」
環境と事情が変わると、使う遺伝子が変わってくる。
違う遺伝子が働き出す。
遺伝子というのは、日々使われているわけで、いわば日々創造しているようなもの。
レクリエーションというのは、本当は単に遊ぶだけではなくて、再創造であり、自然や本物に触れて、遺伝子の働きを本当に新たにして底力をつけることである。
それには、「がんばらない」ことが大事。
よく「がんばる」という人が多いが、「がんばらない」で、リラックスする方が、自然な修復機能は働きやすくなる。
新陳代謝とは、老廃物の処理だが、これが健康の基本。
だから、消化や、食べ物、適度な運動というのはとても重要。
ガン細胞というのは、全体のために何の役に立たない、それだけで生きていけない細胞。
一方、普通の成長細胞というのは、何かの役割があり、ただ増えることよりも、何かの役に立つことを志向している。
いてもいなくてもいいけれど、増えたら困る、ある数を越えると問題というのがガン細胞。
数だけを目的とするのがガン細胞で、質を目的とするのが成長細胞。
そのせいか、質よりも量ばかり求めて、ストレスのかかっている人は、ガンになりやすいのかもしれない。
感謝の心があって、ありがたさがわかるようになり、ゆっくり生きている人は、「再創造」できるようになり、新陳代謝もよくできて、長く生きることができる。
一生かけて、ゆっくり、しみじみと、時間をかけて生きて、はじめてわかってくることやサトルことも多い。
あんまり短期間にぎぃーっと全てをわかろうとするより、一生かけてゆっくりとしみじみと人生を生きることが、本当に大事なことをわかるためにも大事なのではなかろうか。
そのためには、ありがたさを感じる心が大事だけれど、いきなり何もないところでありがたさを感じろといってもなかなか難しい。
自然の中に行って、星空や花や、いろんなきれいな美しいものに触れると、おのずとありがたいという心も起こってくる。
自然や本物に触れる機会を増やすことが、ありがたいと感じる心を開発することであり、それが健康や長生きにも大事ではなかろうか。
また、永続性・精神性ということも大事で、あの世があるのか、あるいは今生だけなのか、それは論証が難しい問題だが、とりあえずこの人生だけではなくて、死んだ後もいのちは永続していくと思うと、今生だけではないと思って心に余裕が生まれる。
一方、今生だけだと思うと、余裕がなくなって、急いだ生き方になってしまう。
あの世があると考えた方が、精神性を大事にしたり、余裕のある心が持てることも多い。
だから、あの世ということをあると考えてみることも、精神性を大事にする生き方につながるのではないか。
ちょっと不正確かもしれないし、聞き落としもあるかもしれないけれど、だいたい上記のような御話で、とてもためになった。
質疑応答の時間に、私が、現代社会では「ゆっくり生きよう」と思っても、なかなかいろんなプレッシャーがかかり、急がせる雰囲気が社会にも周囲にも満ちているけれど、どうしたらゆっくり生きれるだろうか、ということを質問したら、
・ 約束しない。約束するとそれを果たそうとして忙しくなり苦しくなる。
・ 携帯をなるべく使わない。携帯をもっているとどんどん用事が増える。
・ 音楽を聴くならば、一級の人のをCDで聞くよりも、身近なところで生の本物の演奏を聴くのがいい。バーチャルなものより、やっぱり本物のものに触れて、気の波頭みたいなものに触れるのが大事ではなかろうか。
・ 自然のリズムに合わせる。昼夜逆転などしない。
・ この世に迎合しない。ガンというのは、この時代の風土病みたいなもので、後世から見たらなんでこんなに忙しく生きて馬鹿じゃなかろうか、と思う時代が来るかもしれない。この時代の価値観に迎合しないということが大事。
・ マメに何事もこなし、一遍にどかっとするということをしない。エッセンスを求めず、うすいのをたくさんとるということを心がける。
・ 単純にまっすぐ生きない。いろんなところに関わっていくと、おのずジグザグした生き方になって、単純にまっすぐ生きることにならなくなる。いろんなところに関わって、単純にまっすぐ生きないようにすることが大事ではなかろうか。
・ 食事をゆっくりとる。また、食事はいろんな関わりでもある。食品の向こうにある世界のいろんな国々に思いを馳せたり、あるいはおいしい食べ物を食べに田舎に行って自然に触れたり、食事をいろんな関わりとして、関わりのきっかけにして、ゆっくりとることが大事ではなかろうか。
・ 自分の時間をつくっていく。この世の価値の逆をいく。ただし、この世の価値の逆をいく場合、一番反対しやすいのが家族なので、よく話し合って、家族の協力を得ることが、この世の価値の逆をいく場合には大切になってくる。
・ 常識を破る。
といった、とても懇切なアドヴァイスをいっぱいいただくことができた。
ガンの予防のためにも、「ゆっくり生きる」ことを、日ごろから本当心がけて生きたいなあと思った。
なお、人は普通に生きているだけでけっこう重力でダメージがかかるらしいが、温泉や風呂に入ると浮力で骨休めになるので、温泉の効能とかは別にして、どんな風呂でもただ入るだけでとても良い効能があるらしい。
また、安いサラダ油などがけっこう身体に悪くてガンのもとになりやすいらしく、なるべく良い油を使った方がいいそうだ。
あと、一日一時間ぐらい歩くとか、タバコはなるべくしない、などなど、改めて大切だなあと思った。
もちろん、人には寿命があるので、ぜんぜんタバコを吸わず、よく生きていても病になる時はなる。
だが、そうではあっても、なるべく予防に心がけることは大切であろう。
もちろん、ただ長生きするだけではだめで、何のために長生きするかということも大事だが、念仏者ならばその身を大事にしてなるべく長く多く念仏申すようにと法然上人も勧めておられるし、念仏者ならば長生きを心がけ予防に努めるべきかもしれない。
昨日聞いた貴重な御話、日々心がけて生きたい。