わかったような気にならないこと

 先日、最終回を迎えた大河ドラマ龍馬伝」。
第一回から、とても面白かった。

 土佐の上士と下士の過酷な身分差別の様子や、それらを跳ね返そうとする龍馬や武市や岩崎弥太郎の気骨や面魂に、あらためていろんなことを感じ考えさせられた。

 いつの世も不条理なことはあるだろうし、問題はあるのだろうけれど、それに屈さずなんとか変える道を探すかどうかが、偉大な時代とそうでない時代との違いなのかもしれない。

 このドラマの並々ならぬ気魄や気合が、そんなことを改めて考えさせ、何かしら発奮させられる気がした。
 
 第一回を見終わった後、「龍馬伝」のホームページを見てみたら、「わかったような気にならないこと」を肝に銘じてドラマを制作している、ということが書いてあって、なるほどーっと思ったことがあった。
 そこが、あの気合や面白さの秘訣だったのかもしれない。

 幕末史は、繰り返しドラマになっているし、好きな人は多くの小説や本も読んでいるだろうから、ともすればついつい「わかった気」になってしまいがちの分野だ。

 しかし、本当は、「わかった気」になることほど愚かなことはなく、「わかった気にならない」ことこそ大事なのかもしれない。

 幕末史も、司馬遼太郎の小説などを読んだ人は、そうしたイメージや知識はすぐに得られる。
 私も、「竜馬がゆく」を小学校の五、六年ころ読んでとても面白かった。
 しかし、幕末史の描き方は、それだけではないと思う。

 だいぶ時が経ってから、司馬作品にはほとんど全く登場しない、雲井龍雄という幕末の人物に出会って、こんな人物がいたのかととても感動した。
 他にも、無数の、まだ十分描かれてない人物が、たくさん幕末や明治初期にはいるのだと思う。
 また、同じ人物でも、描き方によって全然異なってくると思う。

 わかったような気にならず、もう一度いろんな角度から照らし出してこそ、幕末史にしろ、何にしろ、何事も新たな光を見つけられるのかもしれない。

 我々が生きる時代自体も、ともすれば自分の視界や判断の範囲で、ついつい決まった考えやわかった気持ちになってしまったりするけれど、本当はわかった気にならず、常に新しく問い直してこそ、本当の姿を少しずつ見せ、変えるための道も見つかるのかもしれない。

 そういえば、坂本龍馬という人自体も、幕末において最も「わかったような気にならずに」生きた人物だったように思う。
 既成の概念や制度やしきたりや流れを疑い、大胆に打ち破る勇気と智慧のある人物だったと思う。

 ドラマの醍醐味を、「龍馬伝」にはあらためて教えられたような気がする。
 そのうち、土佐や薩長以外の各地域の幕末の物語も、龍馬伝と同じぐらい語ることができ描かれる時代が来たら、とても面白いのではないかと思う。

 幕末史というのは、まだまだ本当はよくわかっていない、無尽蔵の宝庫であり、そして別の文脈で語りなおせば、我々の生きる近代の枠組みを問いなおすことにつながると思う。

 坂本龍馬や幕末草莽の志士たちの目指したものが何だったのか、もう一度各人が自分自身の目と頭で固定観念にとらわれずに問いなおすきっかけに、今年の大河ドラマがなったら面白いかもしれない。

 そういえば、ちょうど龍馬伝の第一回を見終わったら、突然、半年ぐらい前、大喧嘩して音信不通になっていた親友から電話がかかってきたことがあった。
 日本の政治的な問題に関する意見で衝突していたのだけれど、龍馬伝に感動してわざわざ関東から電話してくれたとのこと。
 すぐに打ち解け、また刎頚の交わりを取り戻した。
 
 考えてみれば、坂本龍馬中岡慎太郎も随分考えは違ったようだけれど、にもかかわらず刎頚の友だった。
 そのような精神も、現代人が改めて最も龍馬たちから学ぶべきことなのかもしれないし、もっとも大事なことのようにも思う。

龍馬伝は最後までとても面白い大河ドラマだったが、各人が「わかったような気にならず」に、さらにそれぞれに歴史や物事への知見を深めていくことと、また、NHK等々にはさらにまた「わかったような気にならず」に新しい良い番組をつくっていって欲しいものである。