印象深かった事件 その4 フランス・中国の核実験

私が高校生だった時に、とても印象深かった事件として、フランスと中国の核実験があった。
CTBTの成立の直前、データを収集するために駆け込み的にその年1995年、フランスと中国は大規模な核実験を強行した。

言い出したのが誰だったのかはどうもはっきり思い出せないが、クラスメイトの四人と、急遽思い立ち、フランスと中国の核実験への抗議のデモをすることにした。

たしか土曜日だったろうか、早く学校が終った日に、ダンボールであらかじめつくっておいたプラカードや抗議旗を持って、福岡市内をデモした。
デモといっても、たった四人だったけれど、途中子どもたちが話しかけてきたり、お年寄りが話しかけてきたり、おおむね励ましや賛意を得た。
高校生だからそんなに大した考えや信条はないけれど、四人のうち、半数はどちらかといえば左派、そして私を含めた二人はどちらかといえば右派だったように思う。
しかし、核実験や核兵器に抗議する思いは、銘々真摯だったと思う。

まことに杜撰な話だけれど、外国の領事館が多数集まっている西新という場所を目指して歩いて、福岡にはフランスの領事館がないことに気づいて、急遽中国の領事館を何度かぐるぐる回って抗議の声をあげてから帰った。
今から思い出せば、ほほえましい話だが、なんとなくなつかしいような気もする。

その時に一緒にデモをした友人のひとりから、その時からだいぶ経ったあとに聞いた話がある。
実は、その友人のおじいさんは、広島で被爆しているとのことだった。
その友人自身もそのためある意味とてもコンプクレックスがあるのだとも話してくれた。
どちらかというと右派で現実的なその友人が、なぜあの時に一緒にやってくれたのか、デモの時はよくわからなかったが、そうだったのかと思った。
それぞれ、口には出さなくても、被爆の傷や心への痛手を背負っている個人や家は、案外と身近にあるのかもしれない。

核兵器については、いろんな議論があるし、わが国も自主防衛のために核武装すべきだという議論も近年高まっている。
核武装を主張する人が、すべて間違っているわけではなく、中には立派な憂国の至情にかられてそういう意見を述べている人がいるのも知っているし、一概に反核が善で核武装論が悪だと言うつもりはない。

しかし、どれほど理性や知性の問題としてはいろんな理屈を述べたとしても、広島・長崎のあの惨状を目にすれば、そしてそこでの多くの人々の嘆きや、その後も今に至るまで続いている心の傷を思えば、どうしても私には核兵器はあってはならない兵器だと思う。

ちょうど、それらの核実験のあった少し前、高校二年の頃、私ははじめて長崎と広島に旅行に行った。
爆心地跡や資料館を訪れて、絶句した。
理屈ではなく人倫の問題として、核兵器は許されぬとその時に感じた。
その時の直感と感覚は、どんな理屈や現実が突きつけられようと、ゆるぎないものとしてある。

はだしのゲン」や「夕凪の町 桜の国」などの漫画も、その後読み、「黒い雨」の小説や、「父と暮らせば」などの映画を、その後見て、ますます今はそう思う。

沈黙の艦隊」などを読んでも、どうせ闘うならば、反核のために核大国との闘いをしたい。
そんな風に高校生や大学生の頃思ったけれど、今もそう思う。

もちろん、その時の思いを、幼稚な正義感と言うこともできよう。
イラク戦争でフランスがアメリカに対して反対を貫いたことで、多少私の反フランス感情は改まった。
また、フランス・中国だけが問題なのではなく、その数年後、未臨界核実験を最も頻繁に強行したのはアメリカだった。
フランスや中国は、アメリカに比べれば、よほどマシと言えるかもしれない。

また、1998年には、インドとパキスタンも核実験を行い、核保有国となった。
北朝鮮も2006年と2009年に核実験を行った。
こうしたことを考えれば、核の拡散や連鎖はなかなか止められず、反核の正義感なんてものはあてにならないし空しいような気もしてくる。

しかし、あの時の自分を思いだすと、杜撰ながら、なんだか大事な一念を思い出させられる。
あれから大したことは何もできていないが、せめて生きるならば、そして、どうせいつか死ぬのならば、核兵器保有したり核拡散を促進するような人生を生きるのでなく、このような悪魔の兵器をなくし二度と人類に使わせぬために、命を使いたいような気がする。

あの時のことを思い出すと、あの時に私たちをせせら笑うように実験を強行した核大国に屈することは、どうにも私にはこれからもできない気がする。