石川三四郎の思想の今日的意義 

野口由紀雄の「40年体制論」によれば、80年代頃までは中央集権的なシステムがうまくいっていたが、90年代以降の技術革新やその他の要因により、今は分散型・分権型システムが必要になっているということである。


だとすると、不思議なことに、戦前に活躍した思想家・石川三四郎の思想は、奇妙なほどこれからの時代にフィットしている。


石川は、「無中心・無強権」つまり中心がなく、強制的な権力がない状態を理想とした。


とはいっても、バラバラの個人がホッブズ的に闘争することが理想と言っていたわけではなく、強制的な権力がない状態で、各人が自発的に協同組合や自発的組織で結びつき、無数の網状組織が社会に生じることにより、共同性や相互扶助が達成されることを石川は構想していた。


市場とNGOなどが自由にインターネットを駆使して世界大でネットワークを張り巡らし、日々に更新する今後の社会を先取りしたビジョンを持っていた。


一昔前は、中央集権的システムの方が時代の大勢を占めていた。
重厚長大産業を育成するには、たしかにその方がうまくいく面もあった。
レーニンスターリンの思想も、日本の40年体制も、きわめて中央集権的なシステムだった。
40年体制をつくった戦時中の革新官僚たちは、主観的には反共だったかもしれないが、北一輝などを経由してかなりボリシェヴィキ的発想を会得しており、右と左は似たような中央集権的な思想的基盤の上にいた。


新自由主義市場原理主義については、今もって多くの人がアレルギーを持つ。
格差社会批判の多くも、そうした心情から起きているものだろう。
ただ、その中には妥当なものもあれば、単に世界の趨勢を見極めない40年体制へのノスタルジーに過ぎないものも多くあるように思う。


国民国家が市場を制御しながらそれなりの国民国家内の平等な分配を行うという20世紀型システム(日本でいえば40年体制)は、グロバール経済の成立と情報革命および金融革命によって、基本的に20世紀の後半にはもはや無理になったということを我々は認識しなければならない。
国内で企業に重税を単純にかければ国外に企業が逃れるだけだ。
グローバル市場によって、先進国は常に途上国の安い労働賃金によってつくられた安い製品の攻勢を受ける。
金融や市場によって政府が打てる政策というのは大きな制約を受けている。


とすれば、先進国が生き残ろうと思えば、途上国とは異なる産業、知識集約型産業や高付加価値産業など、科学や情報や文化面に特化するしかないが、そうした分野に必要なのは独創性や個性であって、重厚長大型産業で必要だったような組織の規律や同調性はかえってそうした要素の発揮を妨げる場合もある。


横並びで、みんな平等で、抜け駆けを許さないが、同じ規律や空気にしたがっている限りわりと安心できるし保障される、という40年体制下の日本人のあり方は、これからはかえって日本の没落を促進するだけだ。


しかし、小泉改革でいくばくか新自由主義的な市場重視の政策がとられた中で、それが本当に日本にとって幸福につながるか疑問だということが、多くの人の実感なのだろう。


問題は、中央集権的システムをやめて、市場優位のシステムをつくること自体が人の幸福を損なうのかということではなく、中央集権的システムをやめて、市場経済の活力を生かしながらも、市場だけでは適切にカバーできない諸問題を、中央集権的システムではないやりかたでカバーできるかどうかということではないだろうか。


中央集権的システムの限界と破綻がやむをえない今日、目指すことはノスタルジーに耽ったり歴史の趨勢に歯向うことではなく、むしろそれを大いに歓迎しながら、市場だけではカバーできない問題を中央集権的ではない方法、分散型・分権型システムでどうやってカバーするかということだと思う。


地方分権・地域自治
NGOやNPOへの税制やエートスの面での工夫。
企業が活力を持ちうるような減税や規制緩和の工夫。
そうしたそれぞれの活動を支える司法の確立と最低限の生活を保障する社会保障
司法や最低限の社会保障や国防という点で、国民国家の役割はなくなるわけではないけれど、基本的に「無中心・無強権」の方向こそ望ましいという方向に社会を誘導し、それを支えるのが政府の役割だと限定していく方がいいのではなかろうか。


いたずらに40年体制の郷愁にひたりバラマキの財政出動やそのための重税に走るならば、日本は没落を早めるだけだと思う。


中央集権的な心情がきわめて強く根強い日本の思想風土においては、石川の分散型・分権型・無中心無強権の思想は、これからの時代にきわめて必要な精神や意識の糧になるのではないかと思われる。