「今年の十二月八日(日米開戦の日)に思ったこと」

十二月八日は、1941年、つまり69年前に日本が米英と戦争を始めた日。


日米開戦の詔勅を読んでたら、あらためて、

「帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ」

という箇所が印象的だった。
つまり、日本に対する経済封鎖や経済制裁が戦争の原因だったということである。

日米開戦に至るまでには、長いプロセスがあったわけで、私が思うに、日本とアメリカのどちらかが一方的に正しく、一方的に間違っているということはなかったと思う。


1929年の大恐慌以後、日本はアメリカや諸外国から徐々に経済封鎖を受けて市場から締め出しを受けていった。


もっとも、この対日経済封鎖は必ずしも日本に非がないとは言い切れない部分もある。
発端のスムート・ホーリー法については日本には全く非がなくアメリカの引き起こした問題だと思うが、その後に日本が大恐慌や市場縮小への対応として引き起こした満州事変等々が、ますますアメリカや中国の市場から日本が排斥される原因となったわけで、どちらにも問題はあったと思う。


特に日中戦争が泥沼化し、南部仏印進駐をしていったあたりでの日本とアメリカの関係は、雪崩式に悪い方向に傾斜していったように思うが、日本の側にも経済封鎖を受けるだけの原因となる行為が多々あったことは、公正に見た場合は指摘されなければならないことかもしれない。
しかし、アメリカの側の強硬な経済制裁への姿勢が、日本を追い詰めて戦争に追い込んだことも事実であろう。


一つ言えることは、自由貿易がきちんと保たれていれば、つまり対日経済封鎖があれほどエスカレートしていかなければ、日本はべつにアメリカと戦争する事態に至らなかった可能性が高いということである。
仮に日本側の対応に非が多々あったとしても、それらも大恐慌後のブロック経済への対応であったことは覚えておくべきことと思う。


いまさらどちらが悪いとか言い出してもあまり意味がないかもしれないが、大事なことは、二度と閉鎖的ブロック経済によって世界が分割されるような事態を生み出さないように、不断に自由貿易や相互の共存共栄への努力を行うことであると思う。


最近、菅政権が進めようとしているTPPも、農産物等々に関して反対の声が大きいようだけれど、自由貿易が進んで相互依存の経済的関係が深まることは、戦争を避け平和を推進するという意味も本当は存在するのだと思う。


逆に言えば、アウタルキー(自給自足)を追求することは、ある意味、戦争を前提とすることであり、また戦争へと向かう道である場合もあると思う。


日米中や環太平洋が、高度な相互依存の経済の関係や仕組みをつくっていくことこそ、二十世紀半ばには実現できなかった、本当の平和をつくっていくことにつながるのではないかと思う。


開戦の詔勅にも、「列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスル」ことこそ、本来の日本の最も重要とすることであり、目的であると述べてあるけれど、TPPやAPECを推進することはこの目的にもかなうことと思う。


二度と十二月八日にかつて起こったような事態が起こらないようにするためには、我々は十二月八日の開戦に至るまでの大恐慌以後の日米双方の政策の問題を冷静に検討し、相互の敵対的な行為や疑心暗鬼がいかに悲惨な結果を生むかを理解して、不断の自由貿易や友好への努力が必要なのだと思う。
もちろん、それは日米間のみならず、日中間や、その他の国との関係にも言えることであり、言うべきことである。


また、試みに、1941年頃の日本の状況を今の北朝鮮にあてはめるならば、経済制裁や圧力をエスカレートしても戦争に向かうのみなのかもしれない。
太陽政策は失敗だったという見方もあるが、少なくとも太陽政策の時期には北朝鮮とここまで軍事的紛争が起こっていたわけではないので、ある種の太陽政策的な政策が、もし戦争を避けて緊張を緩和するためには、今後必要なことなのかもしれない。
しかし、そのためには、日本には特に1941年頃の自分の身とひき比べて考えてみるという、高度な想像力と自制心と忍耐心が必要になってくるのかもしれない。


歴史を学ぶことにもし意味があるとすれば、それはたぶん、今起こっている事態をもう少し相対的に眺めたり、より広い文脈で意味づけたりすることにあるわけで、単に好事家が知識のみを無目的に増やすことにあるのではないと思う。


自由貿易のヴァイタルな意味と、我々もかって追い詰められた窮状にいたことを思い出すことの、二つの想起を十二月八日に行うことは、たぶん無意味なことではなく、場合によっては最も意味のあることなのではないかと思う。