秋山清 詩集 抜粋

秋山清 詩集 抜粋


白い春

アッツの酷寒は
私らの想像のむこうにある。
アッツの悪天候
私らの想像のさらにむこうにある。
ツンドラ
みじかい春がきて
草が萠え
ヒメエゾコザクラの花がさき
その五弁の白に見入って
妻と子や
故郷の思いを
君はひそめていた。
やがて十倍の敵に突入し
兵として
心のこりなくたたかいつくしたと
私はかたくそう思う。
君の名を誰もしらない。
私は十一月になって君のことを知った。
君の区民葬の日であった。



「ある朝」 −昭和十一年二月二十九日

ぞろぞろと人がつづく。
ゆく人、かえる人、出あって話しあう人。
電柱にはれらた告示や号外の前にあつまり数十人。
それを横目にみて通る人。
―省電は全線停止
―バスも動かない
朝の街路のうえをうごきまわる
学生やサラリマンや絆天着やトンビや女たち。
納得できずに駅まで来て引きかえしてゆく。
プラットホームは白くかわき
線路がひかっている。
屋根々々には残雪が凍りつき
雪を割ってうすい陽がさした。
街つづき一里の彼方に
バリケードがあり
銃口が対峙し
まさに火を発せんとし
このあたりひとびとは平常の服装であるいている。
ひとびとは家にかえり
ラジオで哀愁のこもった告諭をきいた。
また道ばたに立ってそれを聞き
ある者は涙ぐんでさえいた。
ラジオは刻々に動静を報じて
しだいに平静になりつつあるとくりかえした。
ひとびとはかえってそわそわとおちつかなかった。
いつものように出かけねばならぬと思い
ひとびとは交通がふだんにかえることを待ち望んだ。
ひとびとは何がおこり何が鎮まったかをほんとうには知らなかった。
それがなぜ起こったかもかんがえなかった。
大勢は電車がうごき出すと改札口に殺到した。




「象のはなし」

象のいない上野動物園
タイ国からこどもの象がきた。
まだ鼻もよくのびていない可愛いやつ。
インドからも大きな象がきた。
ちいさい象はハナコさん。
大きな象はインディラさんと名をつけて
朝早く子供がわいわい押しかける。
大人も毎日見物にくる。
総理大臣もやってきて
一本百円もするバナナをたくさんたべさせた。
象たちは
うまいうまいとながい鼻の下をのみこんだ。
なぜ象たちはこんなに歓迎されたか。
動物園に象がいなかったからだ。
動物園に象がいなかったのは
戦争で殺されたからだ。
戦争は檻の中のおとなしい象もころしてしまう。
目のやさしいアジアの象よ。
象のすきな子供たちよ。
それはそんなに古いはなしではない。

おとなしい象はどうして殺されたか。
厚くてつよい象の皮は
鉄砲の弾もはじきかえす。
注射の針もとおらない。
たべものに毒をまぜると
感のいい鼻でかぎわけてしまう。
だから水ものませず
ひぼしにされた。
もう三週間も、もっと
象たちはなんにもたべない。
腹ぺこぺこでたおれてしまいそう。
子供たちもだあれも来ない。
園丁のおじさん達はこっちを見ないふりしている。
あの親切なおじさんたちが。
なぜだろう。
象の目から涙がながれた。
芋がほしい。芋がほしい。何かください。
三十日ちかくたって
生きのこっているのは
やせてしわだらけのトンキーさん一匹。
ああ、遠くにおじさんがみえる。
逆立ちの芸当をして
もう一度ねだってみよう。
やっとのおもいで後足を蹴あげたはずみに
前足からくたくたとくずれた。
そのまま立ち上がれず
象は死んでいた。
人間の食料も不足のときに
象のたべものなどありはしない。
空襲で
力のつよい象があばれだしたらどうするか。
こうして、戦争はむりやりに象をころした。

動物園の象の話だのに
戦争のことなどはなしてしまった。
そんなこと、象たちや子供はしらぬがいい。
大きな象が腹ぺちゃんこにやせ
しわだらけになって死ぬようなことは
もういやだ。


「お説教」

早春の浅い宵です
星の少ない海端の村では説教がはじまる

じいさんも
ばあさんも
わかい娘も 真宗の他力の本願をききにゆく

他力でないと成仏できない人々の上に
雨になりそうな夜がうづくまっている

春がきたというのに
つらつらとしゃべりつづける坊主の頭はひかり
年寄たちの居眠りにざわめく

貧しくさむい漁村の宵に
今はじまっている有難いお説教です

寺にまいらんかな
寺にまいらんかな
 子どもまでが他力の本願をききにゆく

この海端の部落の家々に
人々はいつか昨日と減り今日と減り
ここに吹くのは
東からも北からも
みんな不景気の風ばかりです

 なむあみだぶつ
 南無阿弥陀仏

ないているのか
うたっているのか

早春の浅い宵です
ぞろぞろぞろぞろと歩いていゆくあの声たち


「秋のわかば

今日はそらがひろくすみわたって
木の下にきて立っている私の
しずかな樹木への感動をなんとつたえよう。
ルース台風
季節はずれにやってきて
けやきの梢から葉をふきおとしてしまった。
こまかい骨のような梢が陽をあびていた。
一週間たって
そのとがった梢々から
ちいさな葉をひろげている。
ちらほらとうつくしい秋のわか葉。
二抱えもある根元から幹をのぼって
樹液があの梢のさきの方まで
樹皮と木質部とのあいだを上の方にむかってながれている。
今日はそらがすみわたって
陽をあびて秋のわか葉はみずみずしい。
あのわか葉たちはまもなく秋風に吹きもがれよう。
わか葉たちはそだてるためにおくるう養分よりも
わか葉たちのはたらきで得られるものの方が少なかろうに。
けやきは、樹液を遠い梢におくって
けんめいに葉をそだてている。
秋の樹木の切実さこそなににたとえよう。