- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1960/03/17
- メディア: 文庫
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遠藤周作が三十代前半の頃に書いたものだそうである。
読んでいて、どういうわけか、はじめて読んだはずなのに、かつて読んだことがあったような気がする。
部分的に読んだことがあったのか、あるいは他の人から話を聞いたことがあったんだろうか。
物語として、これで終わらずに、もう少し救いがあるような続きを書いて欲しかった気もする。
あと、この小説の、「深いつかれ」のような感覚は、よくわかる気がした。
主人公の、キリスト教への反感や反発というのは、おそらくは日本人の多くにはそれほど切実には感じないことかもしれない。
しかし、この深い疲労感や幻滅感を、キリスト教に対してではなく、ヒューマニズムやいわゆる戦後左翼的な価値観に置き換えて読めば、もっと身近に感じられるのではないかと思う。
「白い人」の主人公は、今風に言えば、ネトウヨの走りみたいなもんかもしれない。
ロスジェネ世代と呼ばれる私の世代は、「黄色い人」の方の主人公の、幻滅感や疲労感は、非常によくわかる気がする。
そのうえで、これを引っくり返し、悪を善に転じていくものが、『深い河』などでは描かれるのだけれど、この作品では絶望的な様子のみが描かれ、救いは描かれない。
描かれないだけで、その先にひょっとしたら何かあったのかもしれないが、それは読者の逞しい想像力に委ねられている問題である。
救いはなかったのかもしれない。
これを三十代前半で書いた遠藤周作はたいしたものだと思うが、後期の作品の方が、確かに救いはもっとある気がする。
あと、この作品のテーマでもある、神や罪や死に鈍感で、さほど深い関心を持たず、あいまいなままに過ごせる日本人、というのは、よくわかる一方、日本人の問題と現代文化の問題のような気もする。
いろいろと考えさせられる作品だった。