雑感 モーゼについて

そういえば、もう随分昔、ちょうど家族旅行で阿蘇のホテルに泊まっている時に、昔のハリウッド映画の『十戒』があっていたのを見た記憶がある。
もうあれは、いったいどれぐらい前になるのだろう。


エジプトを脱出し、ファラオの軍勢が追いかけて殺到してくる中、モーゼが杖をかかげると、海の水が二つに分かれて、イスラエルの人々はその道を渡って対岸に無事に逃れる。
追いかけてきたエジプトの軍勢は、海に呑みこまれて全滅する。


あまりにも有名なシーンは、やはり印象深かった。


その頃だったか、あるいはもっと前だったか、後だったか、テレビ番組の特集で、モーゼの時代について科学的に考証するという番組があった。
その番組によれば、ちょうどモーゼの生きた時代だったと言われる頃に、地中海のサントリーニ島で火山の大爆発があった。
十災に言われる、海の色が血の色になった、とか、空が暗くなった、雹が降った、などは、この火山爆発と関連がある。
さらには、海の水が引いたというのは、火山の関係での洪水による海の水の増減を利用したのではないか。
という解説だった。


本当のところはどうだったのかわからないが、ロマンをそそられたものである。


一応、中学の頃に、聖書とコーランは全部読んだ(もちろん日本語訳で)。
それで、モーゼの荒野の旅路の厳しさは、とても印象的だった。
あと、詩編の第九十編に、モーゼの詩があるのも印象的だった。
コーランにも、時々モーゼ(ムーサー)が登場していたのもよく覚えている。


ただ、その後は長く忘れていたし、イエス・キリストに比べて、モーゼはあまりにも昔の時代の人だし、何か恐ろしい、厳しいイメージがなんとなくあった。


この頃、興味を持っていろいろとモーゼの関連の本を読み続け、トーラーの解説書を読んでいると、昔はよくわかっていなかったというか、モーゼというのは、本当に慈悲と勇気の両方を持った人だったのだとしみじみ感じる。


シャガールにモーゼを描いた絵がいくつもあって、どれもなんとなく優しくユーモラスで親しみが持てる感じで描いてあるのだけれど、おそらくユダヤ人にとっては、モーゼはそのような、親戚のおじいさんのような親しい存在なのだろう。


あるユダヤ教の関連の本に、イエスムハンマドもモーゼの肩の上に載っている存在であり、いま世界に絶大な影響を与えている一神教は、モーゼこそが基礎であり、モーゼ抜きには語れない、ということが書かれていたが、たしかにそうも言えるのかもしれない。


何分、あまりにも古代の人物であるし、トーラーの成立過程についても諸説あって、モーゼの歴史的な実像というのは、なかなか今日迫ることは難しいのかもしれない。
しかし、トーラーを読んでいると、また読んだ後にいろいろと思いをめぐらせると、しばしば、モーゼの魂や霊を感じるような時が時折ある。
非常に勇気をもらい、慈悲の心を感じるような気がする。


モーゼも苦労人で、若い時も苦労したし、あとからイスラエルの人々を率いてエジプトを脱出し、荒野を歩み続ける日々も、人々からはちっとも感謝されない上に不平不満や反乱もしばしばで、苦労が絶えなかったようである。
しかし、自分自身の命よりも民を愛し続け、神と率直に語り続け、明確なビジョンを持って出エジプトから荒野の旅を率い続けたその姿は、本当に偉大だったと思う。


十戒の石板が、一枚目は砕け散っても、なお二枚目を再びつくったところも、本当に偉大だったと思う。


ユダヤの人々は、毎日、一生、トーラーを学び続けるそうである。
たしかに、そうされるべき書物だとあらためて思う。


人類の師とも言うべき人は、仏陀イエス・キリストなど、何人か人類の歴史上にいるけれども、モーゼもその一人であることは間違いないと思う。
その中で、仏陀もイエスも、あまり俗世の政治には無関心で、基本的に超越しているのと比べて、あくまで自分の民を愛し、決して見捨てなかったところが、モーゼの特徴かもしれない。
王子だった仏陀と、大工の子だったイエスと比べて、ユダヤ人の庶民の子に生れながら王子として育てられたというところも、両方を合わせたようで、モーゼの興味深い特徴かもしれない。


百二十歳まで生きたという点で、モーゼが最も長寿だったところも興味深い。


もう一つ言うと、あまりにもイエス仏陀は最初からよくできた、常人とは比較にならない智慧と人格を持っているのに対し、モーゼは生身の普通の人間で、時に失敗もすれば狼狽や怖れも抱き、挫折もし、そして徐々に成長している、そういう人間らしいところが、興味深いと思う。
凡夫だが英雄だった、英雄だが凡夫だった、というところが、モーゼの魅力の秘訣と思う。


キリスト教や仏教もすばらしいが、モーゼを要にしたユダヤ教は、またそれ自体として、かけがえのない魅力があると、この頃しみじみ感じる。