今日、高校生の時に読んだ、新渡戸稲造の『自警』の現代語訳の文庫本を読み直していたら、自分が当時その本に影響を受けて書いたメモが挟まっていた。
「文章を修行すること」
「人格を修養すること」
「自己を実現すること」
ということとと、「自由」「独立」というメモ書きと、
「己に克って礼に復る」
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
「義を見て為さざるは勇なきなり」
「博く学んで篤く志し、切かに問いて近く思う」
「日に新しく、日々に新しく、また日に新しく」
“Happy are the pure in heart ; they will see God.”
“My commandment is this ; love one another, just as I love you.”
というメモが書き込まれていた。
論語と大学と聖書の語句だ。
当時、最もこれらの言葉が好きだったし、理想だったのだろう。
なんというか、不思議なもので、十数年前の自分からの手紙のような気がした。
忘れていた理想を思い出させてもらった気がする。
新渡戸さんは、「自分ははたして青年時代の理想に近づきつつあるか?」と問い直すことが、心を若く保ち、高い理想を失わずに生きていくために大切な心の掃除だとこの本の中で指摘していた。
この問いと、これらの言葉を、あらためてこれから大切にしていこう。
しっかし、人間、忘れていることが随分あるものだ。
こんなに良い本が十数年もの間、本棚で埃をかぶってたなんて。
また、自分が当時こんなメモをつくってたなんて、すっかり忘れていた。
人生は不思議な、面白いものである。
あと、同じメモの中に、
「白鳥入芦花」
「円を描いて円を消す」
「ミケランジェロの大理石」
ということも書き込まれていた。
どんなつもりで、どんな意味の言葉なのか、さっぱり忘れて覚えていない。
何かの本で読みかじった禅語か何かだろうか。
にしても、それから八、九年後、ミケランジェロの彫刻を実際数多くイタリアで見ることができたこと、当時はそんなことは夢にも思わなかったことを考えると、人生は面白いもんだと思う。