アングッタラ・ニカーヤ(増支部経典)の第四集を読んでいたら、夫婦や男女のカップルについて、なかなか面白いことが載っていた。
一は、屍男・屍女。
二は、屍男・天女。
三は、天男・屍女。
四は、天男・天女。
屍男・屍女とは、信もなく、五戒も守らず、わがままで、貪瞋痴に生きている人々のこと。
天男・天女とは、仏法僧に信があり、五戒をよく守り、思いやりや慈悲の心を持って生きている人のことらしい。
両方とも屍である場合もあれば、片方は良くても片方が悪い場合もあり、両方とも天である場合もある、というのがなかなか面白い。
もうひとつの面白かった話は、こんな話。
ある時、釈尊が托鉢に訪れた家に、ある老夫婦がいた。
おじいさんは、
「私は若い時にこの妻と結婚したのですが、結婚する時はそれまで会ったこともなかったので、こんなに良い心の持ち主で、こんなに見目形が良い女性だとは知りませんでした。どうか生まれ変わっても、またこの妻と一緒のところに生まれたいと思います。」
と言い、
おばあさんは、
「私は若い時にこの夫と結婚したのですが、結婚する時はそれまで会ったこともなかったので、こんなに良い心の持ち主で、こんなに見目形が良い男性だとは知りませんでした。どうか生まれ変わっても、またこの夫と一緒のところに生まれたいと思います。」
と言った。
釈尊は、
「同信・同戒・同捨・同慧」
ならば同じところにきっと生まれ変わることができますよ、天界で再び一緒になれますよ、ということを説いた。
そして、信とは仏法僧に帰依する心、戒とは五戒を守ること、捨とは布施のこと、慧とは五蓋(欲・怒り・疑・昏沈睡眠・掉挙後悔)が心の汚れだと認識して取り除くこと、だと合わせて説いてある。
この二つの話を読んで、俺も天男・天女のカップルとなれるような相手を見つけたいなぁ、「同信・同戒・同捨・同慧」となれる相手と結婚したいなぁと思った。
にしても、「同信・同戒・同捨・同慧」の夫婦など、本当に世の中には非常に珍しいのではないだろうか。
私が知っている限り、ほんの数えるほどしか知らない。
同信ぐらいだったらいるかもしれないが、二人とも慧の持ち主となると、なかなかいない気がする。
私も地道に生きていれば、そのうち天女とめぐりあえるだろうか。