善導大師における人間の条件

善導大師の観経疏を読んでいたら、はっとさせられる箇所があった。

「あるいは人ありて三種分(慈心不殺・読誦大乗・六念)なきを、名づけて人の皮を着たる畜生となす、人と名づくるにあらず。」

つまり、

「慈しみの心で生きものを殺さないという戒めを保つこと、大乗経典を理解して読むこと、六念(仏法僧施戒天の六つを念じ生きること)の三つのどれ一つとして具えていない人は、人の皮を来ている畜生であって人間とは言えない。」

ということである。

異例の強い語気というか、非常に強い言葉だ。

この三つともない、ということは、要するに、慈悲の心もなくいのちを殺害し、大乗仏教を学ぶこともせず、六念もない、この三つのどれもない人は、人間の条件を欠いている、ということなのだろう。

もちろん、このどれか一つでも具えていれば、人間である、ということでもある。

たいていの人は、どれかは持っているのかもしれない。

しかし、稀には、僧侶や仏教者を自称しながら、この三つの条件を欠いている人もごくまれにはいるようである。

大事な言葉だと思う。