現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第七節
次に、『般舟三昧経』の「行品」には、以下のような意味のことが述べられています。
「釈尊は、跋陀和菩薩におっしゃられました。
「速やかにこの観想を成功させたいならば、常に大いなる信心をしっかりと持ち、掟のようにきちんと実行するならば、成功させることができます。
疑いの思いが、毛筋ほどもあってはなりません。
この心を集中させる観想方法を、『菩薩のあらゆる修行方法に優る行い』と呼びます。
真実の心を起こして、この観想方法を信じ、
聞いたとおりの方法に従って、西方浄土を想い、
ぜひとも心を一つにして、さまざまな想いを断つべきです。
信心をしっかりと定め、疑うことがないようにしなさい。
観想の実践に精進して、怠ることがないようにしなさい。
何かの存在にも無に対しても、どちらにも執着して想念を起すことがないようにしなさい。
進みたいと思うことも、退いていると思うこともないようにしなさい。
前を思うことも、後ろを思うこともないようにしなさい。
左を思うことも、右を思うこともないようにしなさい。
無を思うことも、有(存在)を思うこともないようにしなさい。
遠いものを思うことも、近いものを思うこともないようにしなさい。
痛みを思うことも、痒みを思うこともないようにしなさい。
飢えを思うことも、渇きを思うこともないようにしなさい。
寒さを思うことも、熱さを思うこともないようにしなさい。
苦しみを思うことも、楽しみを思うこともないようにしなさい。
生れることを思うことも、老いることを思うこともないようにしなさい。
病気を思うことも、死を思うこともないようにしなさい。
命を思うことも、寿命を思うこともないようにしなさい。
貧しさを思うことも、富を思うこともないようにしなさい。
地位の高さを思うことも、地位の低さを思うこともないようにしなさい。
異性を思うことも、欲望を思うこともないようにしなさい。
小さいものを思うことも、大きいものも思うこともないようにしなさい。
長いものを思うことも、短いものを思うこともないようにしなさい。
美しいものを思うことも、醜いものを思うこともないようにしなさい。
悪を思うことも、善を思うこともないようにしなさい。
怒りを思うことも、喜びを思うこともないようにしなさい。
坐ることを思うことも、立つことを思うこともないようにしなさい。
動くことを思うことも、止まることを思うこともないようにしなさい。
経典を思うことも、仏法を思うこともないようにしなさい。
正しいことを思うことも、間違っていることを思うこともないようにしなさい。
捨てることを思うことも、取ることを思うこともないようにしなさい。
想念を思うことも、記憶を思うこともないようにしなさい。
断ち切ることを思うことも、執着を思うこともないようにしなさい。
物事は実体がない空だと思うことも、物事には実体があるとも思わないようにしなさい。
軽いと思うことも、重いと思うこともないようにしなさい。
難しいと思うことも、簡単だと思うこともないようにしなさい。
深いと思うことも、浅いと思うこともないようにしなさい。
広いと思うことも、狭いと思うこともないようにしなさい。
父を思うことも、母を思うこともないようにしなさい。
妻を思うことも、子を思うこともないようにしなさい。
親しい人を思うことも、疎遠な人を思うこともないようにしなさい。
憎しみを思うことも、愛を思うこともないようにしなさい。
得たものを思うことも、失ったものを思うこともないようにしなさい。
成功を思うことも、失敗を思うこともないようにしなさい。
清らかさを思うことも、濁りを思うこともないようにしなさい。
さまざまな思いを断ち切って、この観想の間において、
心が散乱することがないようにしなさい。いつも精進努力して、
先延ばしにすることがないようにしなさい。日々に弛(たゆ)まぬようにしなさい。
真実心を起こして、途中でやめることがないようにしなさい。
睡眠をとる時を除いて、心をこらして集中しなさい。
いつも一人でいて、多くの人と生活することがないようにしなさい。
悪い仲間を避けて、善い友に近づき、
智慧のすぐれた先生に近づき、その先生を仏のように思って見なさい。
志をしっかり持ち、かついつも柔軟でありなさい。
あらゆるものを平等に観なさい。
故郷に執着することを避け、親族を遠ざけ、
愛欲を捨てて、清らかな生活を実践し、
涅槃に向かう道を実践し、さまざまな欲望を断ち切り、
散乱した心を捨てて、心を集中する観想を習い、
必ず高度に集中して経典の智慧を学び、
貪りと瞋恚と無知を除き、眼耳鼻舌身意から入ってくるものを去りなさい。
異性への情欲を断ち、さまざまな執着を離れるべきです。
財産を貪って、多く蓄財することがあってはいけません。
すでに持っているものに満足することを思いなさい。食べ物の味を貪ってはいけません。
生きとし生けるもののいのちを、よく気を付けて無駄に食べることがないようにしなさい。
服装は仏法が定めるとおりにして、いたずらに飾り立てることがないようにしなさい。
人をあざけりからかってはなりません。おごりたかぶってはなりません。
うぬぼれてはなりません。増長してはなりません。
もし仏教の経典を説くならば、仏法のとおりにすべきです。
この身の本当のありかたを了解すると、幻のようなものです。
五蘊を自我だと執着することがないようにしなさい。眼耳鼻舌身意から入ってくるものを自我だと執着することがないようにしなさい。
五蘊は、私に危害を加える賊のようなものです。地水火風の四大要素は、蛇のようなものです。
それらは、無常で変化するものであるのに、人はうっかりとぼんやりとしています。
変わらない主体としての自分は本当は存在しません。すべての物事も、自分も、本当は実体のない無我なのだと了解します。
原因と条件によって出会い、原因と条件によって散っていくのです。
すべてのことがそうだと了解し、本当は実体のない無我だと知って、それでもなお、
慈しみとあわれみの心をあらゆるものに加えて、
貧しく困っている人に施し、迷っている凡夫たちを救う。
このことに集中することが、菩薩が実践することの、
最も重要な智慧です。あらゆる修行方法に優る行いです。」