誰も守ってくれない

考えさせられる内容の映画だった。

犯罪加害者の家族が社会から受ける偏見やバッシングというのは、おそらく想像を超えるものがあるのだろう。
特に今はネットの掲示板などで、個人情報の流出や中傷などが昔に比べて随分とひどい事態になりやすいのかもしれない。

容疑者あるいは犯罪の加害者と、その家族はあくまで別の人格主体である。
たとえ容疑者や加害者の家族だからといって連帯責任を問うのは江戸時代じゃあるまいしおかしなことだし、よく知りもせずに中傷などを行うのは人間としてあるまじきことだろう。

映画を見ていて、多少誇張はあるのかもしれないが、いろいろ恐ろしい状況が描かれていて、考えさせられた。

一方で、加害者の家族の保護を警察は行うのに、被害者や被害者の家族の保護を警察や社会がどこまできちんと行っているのかということも、この映画を見てあらためて考えさせられた。

映画のラストの方で、佐藤浩市が演じる刑事が、

「誰かを守るといういのは、その人の痛みを感じることだ。
人の痛みを感じるというのは、つらいことだ。
しかし、それが生きるということだ。」

という内容のことを話すけれど、たしかにそうかもしれない。

誰に対してであれ、その人の痛みを忘れた時、たとえ主観的に正義を行っているつもりでも、その人は誰かを守ることではなく誰かを傷つけ破壊することに加担するのかもしれない。
そして、それは何であれ、やはり”悪”なのかもしれない。
大切なことは、被害者に対してであれ、加害者に対してであれ、第三者の立場であれ、誰かの痛みをともに感じる心を持つことができる時、少しはマシな社会になるのかもしれない。
しかし、その道は、今でもとても困難な、なかなか達成しないことなのだろうなぁ。

そんなことを考えさせれた。