現代語私訳『福翁百話』 第十七章 「天地万物と格闘する」
人間の人生などはちっぽけなもので、広大な宇宙から見ればウジムシと似たようなものだという話を先に述べました。
このことは、他人のことではなくて、自分自身がウジムシのようなもので、他のウジムシと混じって暮らして社会を形成しているということです。
ですが、ウジムシのようなものだからといって、決して自分自身を軽んじてはいけません。
仮にも人間としてこの世に生まれてきた以上は、万物の霊長であり、地球の上で最も尊いいのちです。
そもそも、この人間をウジムシのようなものだと観察するのは心の本体であり、人間をとても尊い存在だと認識するのは心の働きです。
よくよくこの二つを区別するべきです。
さて、人間をとても尊い存在だと定めたならば、その尊い位にふさわしい働きがあるべきです。
そのことを順を追って語ってみましょう。
大体、人間の衣食住は自然に生じるものではありません。
天の恩恵は大きなものではありますが、別の見方から言えば、天はただ法則が確実であるというだけで、自然の産物はあってもそれに人間の力を加えなければ人間のために役に立ちません。
種があり、地面があっても、それを蒔き、耕さなければ、穀物を得ることはできません。
それだけでなく、すでに耕した田畑であっても、少しでも手入れを怠る時は、自然に雑草が生じてきて荒地となってしまうことでしょう。
こうした側面から見れば、天はただ人間に対して元手を貸し与えるだけで、借りた人が不注意であればすぐに取り戻すようなものです。
それだけでなく、天は意地悪なもので、海に波を起こし陸に暴風雨を起こして、人間の妨害をしようとするものです。
ですので、暴風雨を防ぐために家を建て、波を越えていくために船を造り、安全であろうとするならばその家と船をますます丈夫にして、天の力に抵抗しなければなりません。
それだけでなく、天は秘密を守って、人になかなかその秘密を教えず出し惜しみするものです。
人間を病気で苦しめながら、その治療法を簡単には人間に授けません。
蒸気や電力なども、世界の歴史が始まって以来、長い間秘密であり、近年やっとその一端が明らかになってきました。
こうした事柄によって、天の意志がどこにあるか十分に知ることができます。
ですので、万物の霊長であり、地球上で最も尊い存在だと自称する人間は、天の意地悪さに驚かず、その意地悪さに対抗するための工夫を働かせ、天の秘密を探り出して明らかにして自分のものとし、一歩一歩、人間の領域を広くし、この世界の快適さや喜びを大きくしていくことこそ大事なことでしょう。
このことが、つまり私の持論です。
そのことを、こうした意味をこめて、「天地万物と格闘する」、あるいは「天の秘密をつかまえることが文明開化である」と言っています。
物理学・科学の要点は、ただこの一点にあります。
今、この世界は、人間の知識が進み、文明が発展した時代だと言われています。
しかし、天の力は無限であり、その秘密に限りがありません。
これから先、五百年経ち、五千年経っても、人間はますます天の力を自分のものとし、天の力がほしいままに振る舞うことを防ぎ、天の秘密を探り出して明らかにし、人間のために利用することでしょう。
これがつまり、人間の役目、役として為さなければならない仕事なのです。