その場合はきちんとした説明責任を

菅首相 公約修正でも解散せず
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011012700648


「国民に丁寧に説明し理解を得たい」と菅さんはこの記事によれば言ったそうである。

それがどれだけできるかが大切なのではなかろうか。

マニフェストについては、イギリス以外の国では、それほど拘束力はないそうである。

イギリスの場合、下院に権限が集中し、しかも小選挙区による二大政党制が長く続いてきたため(つい最近自由党の躍進で多少構造が変わったけれど)、マニフェストをわりとそのまま実行できる制度的条件が存在してきたため、マニフェストがかなり拘束力の強いものとして意識されてきたそうだ。

ただ、その他の国では、たとえ政権をとったといっても、必ずしもそんなにすんなりマニフェストを実行できるわけではないことは政党も国民もよく理解しており、いくばくか実行できれば良いもので、それほど厳格にはみなしていないという話を聴いたことがある。

日本も、比例代表制小選挙区と並立してあるために、純粋な二大政党制ではなく、多党状態になりがちである。
しかも、参議院がかなり権限が強いために、参院過半数を与党がとれないと、かなり政策の決定において困難な状況となる。

したがって、日本もイギリスとはかなり条件が違うことはよくよく政党も国民も理解すべきことかもしれない。

それに、リーマンショック以後は、税収がかなり落ち込んだことも、政策の幅を狭める要因として大きくはあろう。

ただし、上記の点でいくばくか同情の余地はあるとしても、きちんとした政策の優先順位や政策変更についての説明責任が十分になされていないこと、あるいはなされていないと国民が感じていることが、今現在の大きな問題ではなかろうか。

もともとマニフェストは、衆院の任期の四年間ないし五年ぐらいを視野に入れてものだったろうから、まだ一年半の現在ですべて達成していなくてもそれはそれでいいのだけれど、これからの時間で、本当に時間をかけて達成しようとしているものと、もう実現は撤回する政策とを、きちんと分けて国民に提示する必要があろう。

これから何がなんでも達成しようという政策に関しては、幅広いコンセンサスや財源の捻出が必要であろう。
もはや達成する気のない政策は、なぜその政策をやめようとするのか、そのことについてきちんとした政策修正の理由を説明する必要があろう。

たとえば、高速道路の無料化はどうなったのだろう。
これから本気でするつもりなのか。
それとももはやごく一部地域を除いてするつもりはないのか。

また、日米地位協定の改定は、どの程度の覚悟でするつもりなのだろう。

マニフェストの中の、何をこれから実現し、何をもはや実現しないのか、あるいはマニフェストになかった政策をこれから目指すとすれば、それはどうしてなのか、その点について、きちんとした説明責任を熱心に果たすことは、必ずしもマニフェスト至上主義になる必要はないとしても、政治の説明責任や国民の合意形成の問題として、やはり大事なことではなかろうか。