スマナサーラ長老 御法話メモ 2009年5月9日

スマナサーラ長老 御法話メモ 2009年5月9日


・「無常」ということをよく理解したら、以下の三つの智慧が人間にはそなわってくる。

1、柔軟性
2、調整能力
3、その一日を充実して生きる

・無常だと知れば、変化に柔軟に適応できる。
硬い枝や木は、大風に折れてしまうが、柔軟な枝や木は、風に応じて微妙に曲がったり変化して、折れることがない。
そのように人も、無常を知って柔軟でいれば、いかなる変化にも生きて生ける。

・さらに、人間は、いろんな変化に対して、常に人生を微修正し、調整していく、調整能力があれば、どんなことがあっても大丈夫。
逆に、調整能力がないと、変化の中でどんどんだめになっていく。
車の運転が、常に絶えざる微修正の連続であり、微調整の連続であるように、人生もまたそのように、常に調整しなければならない。
存在とは常に変化であり、一秒一秒自分もあらゆる存在も変化している。
そうであれば、変化を整理することが大事である。
企画どおりには世の中はいかないのだが、計画や企画どおりに物事がいかない時は、どうしてうまくいかなかったかを考えて、さらに小さな計画をいっぱいつくっていけば、だいたいかなりの程度は企画を実現できるようになっていく。
うまくいかなかった時、失敗した時も、それで落ち込んだりいつまでもくよくよしたり根に持ったりせず、「では、私はどうすればいいか?」と調整していく能力があれば、前に進める。

・また、人は一日一日年をとっていく。
この一日はもう二度とない。
確実に死に向っている。
そうであれば、今日一日をいかに充実させるか、そのことに集中すべきである。
今日という日は二度となく、この一秒も二度とないのだから、今をいかに充実させていくか、今いかに目の前にあることをするか、それに集中していけば、それで一日一日が成功していけば、その集合である人生も充実したものになっていく。


・競争ということは、結局自己破滅、自壊の道である。
臆病ものこそが、武器を持ちたがる。
本当に正しい生き方は、協力の生き方である。
一切の生命の幸福を目的とし、協力していく生き方の人こそ、真の強者である、
という話もされていて、とても心にのこった。


・自分の身体すら、本当は「借り物」であり、何一つ自分のものではない。
ましてや、自分の身体以外の、家やら金やら物やらが、自分のもののはずがない。すべて、息がとまった瞬間にぜんぶパーで、置いていかねばならない、他人のものになる。
だから、すべてはレンタル、借り物と思って生きるのが正しい。
すべて借り物と思っていれば、レンタル車をやたらに傷つけたり壊したりしないように、大事に使うでしょうに。
大事に使うし、過剰に執着もしないようになるでしょうに。
なんでも借り物と思って、大事に使い、かつやたらと自分のものと執着しなければ、成功しても失敗しても過剰に苦しむこともない、平静にしあわせに生きれる、


・仏教は実現・実践であり、小説などのようにただ言葉を奏でるだけのものではない、生きとし生けるものの幸福を目的としたら、ただ目的とするだけでなく、それを実現する方法を教えるものである。

・心を育てることが第一、仕事は第二。
そうであれば、かえって仕事もうまくいく。