「思量経」メモ 自己チェックの仕方
諭しやすい者となるために思量すべきこと。
1 「なるほど、この人物が悪い願望を抱き、もろもろの悪い願望に従い行くならば、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、悪い願望をいだき、もろもろの悪い願望に従い行くならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は悪い願望を抱くまい、もろもろの悪い願望に従い行くまい」という心を起こすべきである。
2 「なるほど、この人物が自分を持ち上げ、他人を蔑むと、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、自分を持ち上げ、他人を蔑むならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は自分を持ち上げない者、他人を蔑まない者となろう」という心を起こすべきである。
3 「なるほど、この人物が怒りをもち、怒りに打ち負けていると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、怒りをもち、怒りに打ち負けているならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は怒りをもつ者になるまい、怒りに打ち負けない者となろう」という心を起こすべきである。
4 「なるほど、この人物が怒りをもち、怒りによって怨みをいだくと、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、怒りをもち、怒りによって怨みをいだくならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は怒りをもつ者となるまい、怒りによって怨みをいだく者となるまい」という心を起こすべきである。
5 「なるほど、この人物が怒りをもち、怒りによって攻撃すると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、怒りをもち、怒りによって攻撃するならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は怒りをもつ者となるまい、怒りによって攻撃する者となるまい」という心を起こすべきである。
6 「なるほど、この人物が怒りをもち、怒りを振り撒くことばを吐くと、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、怒りをもち、怒りを振り撒く言葉を吐くならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は怒りをもつ者となるまい、怒りを振り撒くことばを吐くまい」という心を起こすべきである。
7 「なるほど、この人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に対決すると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、この人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に対決するならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私はこの人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に対決するまい」という心を起こすべきである。
8 「なるほど、この人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者を拒絶すると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、叱責者によって叱責されたとき、その叱責者を拒絶するならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私はこの人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者を拒絶するまい」という心を起こすべきである。
9 「なるほど、この人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に反駁すると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に反駁するならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私はこの人物が叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に反駁するまい」という心を起こすべきである。
10 「なるほど、この人物が叱責者によって叱責されたとき、別のことをいって一方に答えを外し、話を外部に外し、怒気と瞋りと不機嫌とを露にすると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、叱責者によって叱責されたとき、別のことをいって一方に答えを外し、話を外部に外し、怒気と瞋りと不機嫌とを露にするならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私はこの人物が叱責者によって叱責されたとき、別のことをいって一方に答えを外さず、話を外部に外さず、怒気と瞋りと不機嫌とを露にするまい」という心を起こすべきである。
11 「なるほど、この人物が叱責者によって叱責されたとき、釈明して答えないと、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、叱責者によって叱責されたとき、釈明して答えないならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私はこの人物が叱責者によって叱責されたとき、釈明して答えよう」という心を起こすべきである。
12 「なるほど、この人物が悪を覆いかくし、欺く者であると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、悪を覆いかくし、欺く者であるならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は悪を覆いかくさず、欺くまい」という心を起こすべきである。
13 「なるほど、この人物が嫉妬し、物惜しみすると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、嫉妬し物惜しみするならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は嫉妬せず、物惜しみすまい」という心を起こすべきである。
14 「なるほど、この人物が狡猾で誑かす者であると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、狡猾で誑かす者でであるならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は狡猾でなく、誑かさない者であろう」という心を起こすべきである。
15 「なるほど、この人物が強情で、過度の自意識をもつ者であると、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、強情で過度の自意識をもつ者であれば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は強情でなく、過度の自意識をもつまい」という心を起こすべきである。
16 「なるほど、この人物が自己の見解に執着し、自己の立場に固執し、自分のものを棄て難い者であれば、この人物は私に愛されず、意に適わない。また私自身も、いかにも、自己の見解に執着し、自己の立場に固執し、自分のものを棄て難い者であるならば、私もまた他の人々から愛されず、意に適わないだろう」
このように知る者は、「私は自己の見解に執着せず、自己の立場に固執せず、自分のものをよく捨てる者であろう」という心を起こすべきである。
そこで、友よ、自分自身で自分をこのように観察すべきである。
1 「一体、私は悪い願望を持ち、もろもろの悪い願望に従い行く者であるのか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
2 「一体、私は自分を持ち上げ、他人を蔑む者なのか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
3 「一体、私は怒りを持ち、他人を怒りに打ち負けているのか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
4 「一体、私は怒りを持ち、他人を怒りによって怨みをいだく者か」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
5 「一体、私は怒りを持ち、他人を怒りによって攻撃する者なのか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
6 「一体、私は怒りを持ち、怒りを振り撒くことばを吐く者なのか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
7 「一体、私は叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に対決するだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
8 「一体、私は叱責者によって叱責されたとき、その叱責者を拒絶するだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
9 「一体、私は叱責者によって叱責されたとき、その叱責者に反駁するだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
10 「一体、私は叱責者によって叱責されたとき、別のことをいって一方に答えを外し、話を外部に外し、怒気と瞋りと不機嫌とを露にするだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
11 「一体、私は叱責者によって叱責されたとき、釈明して答えないだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
12 「一体、私は悪を覆い隠し、欺く者だろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
13 「一体、私は嫉妬し、物惜しみするだろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
14 「一体、私は狡猾で誑かす者であろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
15 「一体、私は強情で、過度の自意識をもつ者だろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
16 「一体、私は自己の見解に執着し、自分の立場に固執し、自分のものを捨てがたい者であろうか」と。
もしそうであると知るならば、それらの悪い不善のものどもを捨てようと励まねばならない。
しかし、そうでないと知るならば、同じその喜悦をもって日夜にもろもろの善いことどもを学んで住するべきである。
友よ、自己を観察して、すべてのこれらの悪い不善のものごとを捨て切れないでいる自分を見るときは、それによって、これらの悪い不善の物事を捨てるように励むべきである。
しかし、これらの悪い不善のものごとが捨てられている自分を見るときは、それによって、同じその喜悦をもって、もろもろの善いものごとに昼夜に学んで住するべきである。