どういうわけか、イエス・キリストを好きになった。
昔は、どういうわけか、反発を感じたものだった。
若い頃、キリスト教はいわば西欧そのものと思っていた。
物質文明は西洋を受け入れても、魂の中核までは西欧に染まるのは日本人としてふさわしくないと思っていた。
というわけで、できる限り、キリスト教を逃れ、遠ざかり、やり過ごそうとしてきた。
それが、どういうわけか、いつの間にやら、キリストが好きになった。
元々好きだったのかもしれない。
キリストを思う時、安らぎと優しさを感じる。
これは不思議だが、紛れもない事実である。
西欧や教会や世の多くのキリスト教なるものには、一向に慕わしさもなつかしさも感じないが、
キリストはなつかしく慕わしい。
私には自分にとってなつかしく慕わしいキリストあるのみ。
教会も無く、西欧も関係なく、私に現れた、私に関わりのある、私の人生における、キリストを慕い、従いゆくのみ。
ただ自分で聖書を読み、聖書を通じて語りかけるキリストに耳を傾けるのみ。
洗礼も聖餐も私には必要ない。
ただキリストのみ。