大江健三郎 「ヒロシマ・ノート」

ヒロシマ・ノート (岩波新書)

ヒロシマ・ノート (岩波新書)


今日、大江健三郎さんの『ヒロシマノート』を読み終わった。


今からちょうど半世紀前、原爆の落ちた日から二十年近くが経った広島を、若き日の大江さんが何度も訪れて、いろんな人々の話を聴きながら書いた文章を集めたものである。


その中に、原爆で息子夫婦が死に、生き残った孫を大切に育ててきたが、貧乏に苦しんだ上に、孫も二十年後に原爆症を発症して死んで、発狂したおじいさんの実話があり、胸がつぶれた。
この悲惨さに、何を言えるというのだろう。
原爆とは、このようなもの。
そう、あらためて思わずにはいられなかった。


また、四歳の時に被爆し、二十になった頃に原爆症に起因する白血病になりながら、なんとか病院の治療で二年ほど命を伸ばし、その間に印刷工として一生懸命働き、恋人もできて婚約しながら、亡くなったという若者のことと、
その若者の恋人が、若者が白血病で死んだ後、二十歳だったが、後を追って自殺した、という話に、なんとも、言葉では言えない深い悲しみを感じずにはいられなかった。


原爆投下から二十年近くが経った当時も、次々に原爆の影響による病気のせいで、また心の傷や絶望や孤独から、自殺していく人々が多くいたことに、なんとも胸が痛まずにはいられない。
それはおそらく、この本が書かれた半世紀前の時点で終ったことではなく、そのあとも、あったことなのだろう。


その一方で、大江さんがこの本で書いているのは、「それでもなお自殺しない人びと」(76頁)の姿である。


これほどの悲しみや嘆きや痛みがあっても、なお自殺せず、生き続けた人々の姿を、具体的にこの本は丹念に描いている。


原爆投下直後で、自らも被爆しながら、必死に治療に従事した医師たち。
ケロイドの顔に苦しみながらも、被爆の体験を勇気をもって語る女性。
時にユーモアも交えながら、政治を諷刺し、原爆の日のことも語り続ける女性。


大江さんは、それらの人々が備えている「人間的な威厳」ということについても語っている。
この威厳という言葉は、言い換えれば、英語のdignity であり、尊厳ということだと思うが、人間が体験した出来事の中で最も絶望的な悲惨な体験を経ながら、なおかつ威厳を持ち、尊厳を持っている人々の姿は、本当に、なんといえばいいのだろう、心動かされるものがある。


人間の悲惨を引き受け、なおかつ、そこからすべての人間が恢復するために、努力を続けていくこと。
そこに、人間的な威厳、尊厳というものは、あるのだと思う。


「広島の現実を正面からうけとめ、絶望しすぎず、希望をもちすぎることもない、そのような実際的な人間」


のことを、大江さんは「正統的な人間」とも表現しているが、これはつまり、最もまっとうな人間、真人間の中の真人間、ということなのだと思う。
そして、このような人間的な威厳をそなえたまっとうな人間以外の人間というものは、つまり非正統的な人間、言い換えればまがいものの人間ということなのかもしれない。
これは広島に限らず、厳しい状況であれば、「〜の現実」に何か別の状況を入れ替えても、言えることなのかもしれない。


さまざまなエピソードの中で、もう一つ印象的だったのは、原爆投下の時にちょうど三十才だったある女性の人が、原爆が落ちた時から三日後、焼けただれた身体で、立ち上がることもできず、ただ横たわっていたら、十四、五才ぐらいの少年が話しかけてきたという話。
その少年は、言葉が不自然だったので、すぐに朝鮮人だとわかったそうだが、その女性に、救護所が近くにできたが、そこに行くか?と尋ねてきて、女性がうなずくと、背負って連れて行ってくれ、救護所に運んだあとには、いつの間にか姿を消していたという。
それ以来、二度と会っていない、という話だ。
見返りを求めるわけでもなく、人助けのために働いたその少年のエピソードは、これほどの悲惨な中にあって、そしてその背景にある状況を考えると、今日から見ても、とても貴重なエピソードの一つのように思える。


この本は、最も重い、絶望的な状況や出来事を語るのと同時に、それらを直視すればこそ、その中にある、希望を確かに見つけ、しっかりと描いている本なのだと思う。


「われわれには《被爆者の同志》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。」


というラストの方での大江さんの言葉は、重い厳しい言葉であるのと同時に、逆に言えば、私たちがなおも正気の人間として生きるための道を見つけて指示してくれているのがこの本であり、広島なのだと思った。


半世紀の時を経て、今こそ、しっかりと読まれるべき多くの示唆に富んだ本だと思う。