昨日、67回目の8月15日に思ったこと。
67年前、多くの人たちが、もう一度日本を創っていこうと奮起してくれたから、決して絶望に沈まずまた再び立ち上がってくれたから、今の日本があるのだろう。
311後の私たちも、もう一度奮起して、もう一度日本を創っていくぐらいの心構えを持ってこそ、815も311も無にせず、良い日本を創れる。
そんなことを思った。
今の日本もたしかにいろんな困難を抱えているし、ひとりひとりの人生はいつの世も決してラクではない。
しかし、67年前の焼け野原と廃墟から、身ひとつで奮起し、奇跡の復興と高度経済成長を成し遂げたことを思えば、日本にできないことは何一つないし、どんなことでもできると思う。
私の母方の祖父母は、戦前は北京で鉄道の技師として裕福な暮しをしていたそうだ。
しかし、敗戦で財産を置いて身ひとつで帰国した。
祖父は友人たちと会社を起業して、途中は随分苦労もしたそうだが、成功したそうだ。
といっても、私が生まれる前に祖父は病気で亡くなっていたので直接会ったことはない。
敗戦で失ったものに固執せず、築き上げたものが無になっても格別落ち込みせず、すぐまた頭を切り替えて新しい事業を起こしたところが、祖父は偉かったなぁと思う。
あの時代はそういう人がいっぱいいたのだろう。
人間、再び奮起することができるかどうかが、最も大切なことかもしれない。
黒船来航から奮起して明治維新と近代化を成し遂げ、敗戦の焦土から奮起して奇跡の復興と高度経済成長を成し遂げてきたことを思えば、日本は必ず311やこの膨大な財政赤字や政治・社会の困難も、その気になれば乗り越えることができると思う。
問題は、本当に追い詰められないと日本が奮起しないことだと思う。
人間はおしなべてそうだけれど、日本は国家として特に、絶体絶命にならないとなかなか奮起しない国なのかもしれない。
できれば、イギリスのようにじわじわと柔軟に変化できると、あんまりカタストロフィーがなくて、リスクが少なくて済むのだけれど。
日本では、先の大戦で三百万以上の人が戦争で亡くなった。
数字では本当は考えてはいけないのだと思う。
一人一人の人生の物語があり、かけがえのない家族や友人や愛する人がいたはずだ。
かけがえのない一人一人の悲しい死が、それぞれにあった。
そのことを、単なる数字としてではなく、具体的なこととしてなるべく想い描くことを、忘れてはいけないのだと思う。
そういった点では、歴史よりも文学の方が実は大事なのかもしれない。
特に戦争体験の伝承に関しては。理屈ではいろんなことは言えるだろう。
数字や歴史の記述はいろいろとあるだろう。
が、要はどれだけ、自分がいろんな当時の悲しみや物語に耳を傾け心で感じるか。
それが大事ではないかと思う。
そして、敗戦の焦土からの奇跡の復興の物語も、ただ単にGNPの伸び率の数字としてではなく、ひとりひとりの庶民の具体的な苦労や成功の体験談として、語り継ぎ、受けとめた時に、生きた歴史になるのだと思う。
八月十五日は、歴史の継承や、ともすればナショナリズムや愛国心ということが過熱したり議論になったりするが、要はもっとも大切なことは、上記のようなことじゃないかと、私は思う。