- 作者: 横光利一
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戦前の小説だけれど、すごく新鮮な感じがした。
1930年代の魔都・上海の魅力と情景が、生き生きと小説の中でよみがえる気がした。
登場人物たちの、いささか投げやりで、物憂く、虚無的なあり方も、なんだかとても良かった。
グローバル経済と中国と日本の問題、マルクス主義と愛国主義とアジア主義の問題など、考えてみれば今なお新しいテーマに切り込んでる。
作品のラストの方の、上海でのゼネストと、ゼネストに巻き込まれて散々な目に遭いながら、女のことしか考えてない主人公達の様子も、なかなか面白く、共感した。
たぶん、私も、革命が起こったりストライキが起こっても、それなりにかかわりながらも、結局は自分の恋人や家族のことしか考えないし、そこに会いに行こうともがくような気もする。
にしても、残念なのは、この「上海」、ちょっと途中で終わってしまったっぽい感があること。
この続きが本当は読みたい。
もっとこの作品の扱うあとの時代の、上海事変に突入したあとの様子、および第二次大戦が終わったあとの、上海の様子まで活写すれば、史上にのこる作品になったろうに。
とはいえ、もうそこには、横光利一が書きたかった、詩情をそそる魔都の風情はなかったのかもしれない。
上海事変・日中戦争の勃発で、さまざまな矛盾の上に花咲いていた租界の魔都・上海は、たぶん終わってしまったのだろう。
「上海」を読んでて、ふっと思いだした。
あれはたしか私が高校生の頃。
たぶん、高校の先生のうちの誰か一人からだったと思うのだけれど、誰かもう六十ぐらいの男性から、
小さい頃、上海に住んでいてとても幸せだったこと、大きな家で、鉄の手すりがずっと家の中になだらかについていて、それを妹と一緒にすべっていつも遊んでいたこと、
戦後もずっと経ってから訪れたら、その家はそのまま残っていて、中には何家族かが住んでいた、
事情を話すと、喜んで中を見せてくれて、そしてとても歓迎しくれた、
昔の上海を知っている人のことを中国では「老上海」(ラオシャンハイ)と呼ぶのだけれど、自分を「老上海」と呼んでとても尊敬して歓迎してくれた、
という話を聞いた。
うーん、てっきり忘れてたが、なんとなく話は覚えているのに、はっきりその話をしてくれた人を思い出せない・・・。
でも、なんだか、まったくのあかの他人の私が聴いても、何かなつかしいような、そんな気のする話だと、今思い出しても思う。
上海って町は、不思議と、いろんな記憶のこもっていて、関係のない人にまで限りない郷愁を感じさせる町なのかもしれない。
横光利一の「上海」も、たぶん書いてた本人にはそんなつもりはなかったのかもしれないけれど、限りなくなつかしい上海の姿を、見事な文章で綴った、一大詩集だったような気がする。
あぁ、そうだ、これ、小説っていうよりは、詩集って感じのする本ではなかろうか。