今日、4月26日は、チェルノブイリ事故があった日。
1986年だった。
日本に、これといって何か深刻な影響があったわけではなかったけれど、当時の重苦しい雰囲気は、なんとなく子ども心にも覚えている。
とんでもないことが起こった、と思ったし、その後、かなり後まで、断続的にひどい話を小耳にはさんだ。
ただ、まさか日本が、その後深刻な原発事故が起きるとは思っていなかった。
もちろん、長年の政府・行政や東電の問題や責任は言うまでもないとしても、自分自身、認識が甘かったとあらためて考えさせられる。
結局、チェルノブイリを、日本は対岸の火事と思っていたのだと思う。
スリーマイルも、チェルノブイリも、日本は対岸の火事として済ましてしまった。
問題は、そこなのだと思う。
歴史の教訓、特に外国における歴史の教訓というものは、せっかく貴重な経験や教訓があっても、想像力や自分の身にひきつけて考えるという努力をしないと、対岸の火事に終わってしまうのだと思う。
事柄は違うが、ギリシャ危機など、やはり日本が対岸の火事としてしまっているものは今もって多々ある。
結局、大事なのは想像力や学ぶ力なのだろう。
ただ、自分の国で起こった深刻な出来事からまであまり学ばず、風化させてしまうとしたら、それこそ恐るべきことなのだけれど。
チェルノブイリの後、ソビエトおよびロシアは、ずいぶん自ら変わろうとして、ずいぶんと苦しみ、迷走を重ねてきた。
いまもって、傍から見れば、ずいぶん散々な国のありような気もする。
日本は、その点も、これからどうなのだろう。