池田美智子 「対日経済封鎖」

対日経済封鎖―日本を追いつめた12年

対日経済封鎖―日本を追いつめた12年


だいぶ前に読んだのだけれど、とても面白かった。

1926年から1937年の間における、日本に対するアメリカや中国などから行われた貿易規制やボイコットを、統計資料に基づいて詳述してある。

大恐慌後の、日本に対する対日経済封鎖というのは、本当にため息が出てくる。

日本が、あのように無謀な戦争に追い込まれていったのは、相当程度、対日経済封鎖によるものと言ってもいいのかもしれない。

ただ、対日経済封鎖については、日本にとって、一方的な不条理だった面と、自業自得だった面と、両方あるだろう。

満州事変よりも先立って、1930年に、アメリカがスムート・ホーリー法を制定し、アメリカから大きな貿易規制を日本が受けるようになり、カナダも連鎖的に貿易規制を行うようになったのは、どう考えても日本にとってはなんらの非もない、あまりにも悲劇的なことだったろう。

とはいえ、それらが引き金とはいえ、不況の突破口として満州事変に日本が突入したのは、やっぱり大きな誤りだったと思う。

満州事変は、しばしば今でも成功事例として語られたり、石原莞爾を褒め称える論調も一部にはあるみたいだけれど、

この本を読んでて、いかに満州事変以後の中国で、1931以後の対日ボイコットが激しくなったか、あらためて驚くばかりだった。
上海を中心に、中国のあちこちで対日ボイコットが行われ、対中貿易は大幅に減退することになった。

思うに、石原莞爾は、満州事変のリアクションとして、上海等で日中間の貿易が致命的な打撃を受けるということを、ほとんど考えていなかったのではないだろうか。
しょせん軍人であり、経済や貿易のことは何もわかってなかったし、配慮されていなかったのではないかと思う。

上海等との貿易がもっと考慮されてメディアもその点をついていれば、満州事変はもっと真剣に現地の軍部の暴走の責任を追及すべきものだと国民も思ったかもしれないし、あのような形での軍部の暴走を許さず、きちんと政府が収拾にあたるべき問題になったのかもしれない。

どちらが正しいとか悪かったとかいう問題はとりあえず置いて、自由貿易をやめて、閉鎖的経済ブロックやボイコットに走った場合、世界は容易に息苦しくひどいものになりうるということを、私たちは歴史の事例から謙虚に学ばねばならないのかもしれない。
そう思えば、今のTPPやFTAWTOなどは、大勢としてはやむをえない、そして世界の安定や相互依存や平和のためには、かなり必要なものとも言えるのかもしれない。

いろいろ考えさせられる一冊だった。