備忘メモ:
今年も数多くの戦争に関する番組があったが、印象深いものが多数あった。
「夏井いつき “原爆俳句”を訪ねて」という番組は、近年発見されて長く忘れられていた、敗戦後十年ほど経った時に出版された『原爆句集』という本の中の、印象的な俳句の紹介と、その俳句を詠んだ人の背景を探る番組だった。
腕を切り取るという内容の、意味がよく読み解けない俳句が、背景を探ると、軍の施設から遺体を持ち出すことができず、腕のみ切断して遺骨として持って帰ったことを背景としていたということや、被爆して亡くした子どもの残した俳句をずっと大切にして、自分自身も俳句をその後も続けていた方のことが紹介されていて印象的だった。
「いま 伝えたい 小倉桂子さん核大国アメリカでの対話」という番組は、英語で被爆の体験をアメリカに伝え、対話をめざしている小倉桂子さんが、アメリカのアイダホを訪れて、対話を試みる様子が紹介されていた。
アメリカは日本とは大きく異なる空気や意見が根強いが、その中で、実際に起こった出来事と体験から感じたことを伝え、対話を試みる小倉さんの姿には胸を打たれた。
アメリカの中にはきちんとそのメッセージを受けとめ、自分たちとは異なる視点や意見に衝撃を受けつつも、しっかり考えようとしている人々の様子に希望や勇気をもらった気がした。
「隔離と戦禍」という沖縄戦におけるハンセン病の患者のことを特集した番組は、差別や隔離のうえ、戦争に巻き込まれて多大な犠牲を出したことに、見ながらなんとも胸が痛んだ。
戦争は弱い立場の人や、お年寄りや子供や病気の患者から真っ先に命を奪っていくことがあらためて感じられた。
一人のハンセン病の元患者さんの方が、日本国憲法の第十三条を半紙に丁寧に書き写して死ぬまでとても大切にしていて、個人として尊重せず幸福追求や自由が認められない体験をしたからこそ、切実に十三条の大切さが身をもってわかっておられたのだろうなぁと胸打たれるものがあった。
「グランパの戦争」という番組は、アメリカ人の従軍カメラマンだった祖父が残した千枚の写真を孫娘のオランダ人の人が見つめ直し、日本にも来てその足跡をたどる番組で、硫黄島の残酷な遺体の写真や、敗戦直後の日本の慰安所内部の写真など、貴重な写真が紹介されていた。
慰安所(RAA)は東久邇宮内閣の最初の閣議で決定されたそうで、東久邇宮がかつて従軍していた南京戦における日本兵の状態に米軍がなることを憂慮し、政府主導で慰安所をつくったというエピソードに、なんとも言えぬ二重に情けない気持ちにさせられた。
また、慰安所の近くに住んで当時をよく知っているというおじいさんが、小さい頃慰安所の女性たちをハニーさんと呼んで仲良くしていて、ある時に花見に一緒に行ったが、みんな唱歌をうたいだし、途中でみんな一斉に泣き出したという話をよく覚えているとお話されてたのが印象的だった。
「こども放送合唱団“わかば唱歌隊”〜平和をつなぐ歌声」という番組も良い番組で、戦時中、長崎のNHKに児童合唱団があり、その指導や師範学校の音楽の先生をしていた岡山直という人物が特集されていた。
岡山は、あの時代に、軍歌や戦時色は一切持ち込まず、音楽は自由で平和なものでなくてはならないという信念から、児童合唱団の指導も師範学校の授業も自由で平和ものだったそうである。
被爆ののち、郷里の福島で音楽の先生をしていたそうだが、学生には、音楽を介していろんな国の人と仲良くなり、音楽を通じて自由で平和な世の中をつくるように教えていたとのことだった。
他にも、いろんなニュース番組の中の特集がいろいろと興味深かった。
終戦の4日前に民間人のみを狙った久留米空襲が行われ二百名以上が亡くなっているが、あまり詳しいことが伝わっておらずわからないことが多いそうである。
延岡は6月29日に火薬工場を狙った大空襲があったそうである。
沖縄の「海鳴りの像」の特集もあり、25席の船が撃沈され、1900名以上が当時海上輸送の途中で亡くなっているが、その追悼の像だそうである。
天草には日中戦争頃の一般の兵隊の慰霊のために当時つくられた十二体以上の石像があるそうで、全国的にも珍しいそうである。
長崎の片島というところの魚雷発射訓練場の話も興味深かった。
徴用漁船の話や、高松の女神丸事件や、釧路沖の日連丸の撃沈に関する特集なども心に残った。
また、平和の礎石に新たに名前が刻まれた、沖縄出身で広島で被爆し、語り部としても活動されて最近亡くなられたおばあさんのお話も印象深く、広島に疎開したあと沖縄の同級生たちのことをずっと心配していたが、自分自身も広島で被爆し、戦後沖縄に戻ったあと、同級生たちの多くが疎開のために対馬丸に乗っていたところを撃沈されて亡くなったことを知ったという話に、さぞかし悲しかったろうと思われた。
他にも、いろんな番組があったと思うが、多くの90代ぐらいのお年寄りの方々が、戦争だけは絶対に繰り返さないことや、やめなければならないこと、戦争は人を鬼にすること、平和は宝だということを、自らの体験からの強い思いをこめて語っておられることが印象的だった。
しかし、こうした戦争体験を直接体験した方々から話を聞けるのは、本当にこれから先さらに稀になっていくのだろう。
まずはしっかりと、これらのさまざまな声や思いに、耳を傾けて忘れないようにしていきたいとあらためて思った。