法然上人の命日

今日は法然上人と式子内親王の命日。

井上洋治神父の『法然 イエスの面影をしのばせる人』は心にしみる良い本だった。

思うに、本当にその人をあるがままに受けいれ、慈しむということの、最も純粋な姿を、身をもって示したのが、法然上人だったと思う。

阿弥陀如来の本願を信じて南無阿弥陀仏と称えれば救われる、ということは、それだけとれば極めて単純な教えで、平安末期の人の大半も、そうそう簡単に信じることができたとは思えないし、信じたところで救われるとそうそう簡単に本当に思えたかは私は疑問である。

当時において、多くの人が、にもかかわらず、念仏を信じるようになったのは、法然上人という人の、何か桁外れの優しさや人格に動かされたからではないかと思う。

理屈としては法然上人が言ったことは、善導大師や、さらにさかのぼれば浄土三部経に書いてあったわけだけど、それを本当に日本において生きた人格として生きたのは、日本においては法然上人だったのだろう。
キリスト教における信仰義認説が、理屈としてはずっと聖書に書いてあり、多くの人がそれを読んでいたはずだったのに、ルターが身をもって生きるまで長らく忘れられていたのと同じと思う。

つまり、宗教というのは、結局は、本当に救いを身をもって生きる人格の有無が決定的なのだと思う。

本当に身をもって信仰や慈しみを生きることができたら。
きっと本人は客観的には貧しかったり流罪にあったりしても、この上なく光やよろこびを感じることができるのだと思うし、他の人も、その光を感じることができるのだと思う。

私にとっては、日本の旧約における最も偉大な人物は法然上人であり、日本の新約において最も偉大な人物は内村鑑三だと今も思っているし、おそらくそれは今後も変わらないと思っている。
(もちろん、親鸞聖人や矢内原忠雄も偉大と思っているけれど。)