ときどき思い出す三つの話 オバマ・ゴア・クリントンについて

ふと思い出す話で、なんだか人生が勇気づけられたりすることがある。
私の場合、ときどき思い出す三つの話がある。
別々の時に知った話だし、相互に関連はないけれど、たまたまアメリカの民主党の政治家の話だ。
どれも、ある種の、回心や生まれ変わりに関することなのだと思う。


ひとつは、オバマさんの自伝に載っているこんな話である。


若き日、弁護士をやりながらも、無力感に打ちひしがれることや、社会を変えることなどできないのではないか、自分の人生に何の意味があるのか、と思い悩んでいたオバマさんは、ある黒人教会で、たまたまこんな説法を聞いたそうである。
その教会の牧師さんは、その日、旧約聖書のサムエル記のハンナの祈りの箇所について説法した。
ハンナの祈りは、子どもが生まれないハンナという女性が、それゆえの周囲からのあざけりに悲しみ嘆き、神に子どもを授かることができるようにと祈り、サムエルを授かるという話である。


その箇所を引用したうえで、その牧師は、我々には何もできないと思い、うちひしがれる時がある、その理由はさまざまだけれど、無力感にうちひしがれ、何もできないと思い、悲嘆や悩みのどん底にあり、立ち上がる力もない時もある、
しかし、そんな時にも、私たちには、必ずできる一つのことがある。
どんな時にも、必ずできる一つのことがある。
それは祈りである。
祈れば、それは必ず神に聞かれる。
すぐに願いがかなわない場合も、真剣な祈りは、必ず自分を変える。
そして、自分が変われば、必ず世界が変わる。


こんな内容の話だったそうである。
その時、オバマさんは深く感動し、滂沱と涙が流れ、どういうわけか小さい時によく祖父母から聞いた、「どんな雨の日も、雨雲の向こうには晴れた空がある、人生にはなにがしか良い側面が必ずある」という意味の歌詞を思い出したそうである。
それが、一種の回心となり、もう迷わずに一気に駆け抜けていったそうだ。
そして、”Yes, We can.” のスローガンは、その時の思いがもとになっているそうである。


もう一つは、ゴアの話である。
ゴアは、良い家庭に生まれ、良い大学を出て、勉強にも仕事にも熱心で、順調にキャリアを積んでいたそうだけれど、ある時に、自分の息子が交通事故にあったそうである。
必死に祈り、ずっと側に付き添い、奇跡的にその息子さんは命をとりとめたそうだけれど、その時にゴアは、自分の人生の優先順位を見つめなおしたそうだ。
それまでは、仕事や出世を大事に考えていたけれど、家族とともに過ごす時間を最も大切に考えるようになったそうである。
そして、息子やその世代の人たちに、自分が生きている間に何をしてあげることができるかを真剣に考えるようになったそうである。


もう一つは、クリントンの話である。
クリントンは、小さい頃義理の父親に虐待を受けたそうで、どれだけ時が経ち、大人になっても、その恨みや怒りがどうしても自分の心の奥底から抜けなかったそうである。
いろんなカウンセリングやセラピーを受けても、どうしてもその時の心の傷が消えなかったそうだ。
それで、ネルソン・マンデラさんに会った時に、どうしてあなたは二十七年も牢獄に入れられていたのに、南アの権力者や看守や白人たちを許すことができたんですか?と質問したそうである。
すると、マンデラさんは、「許すことなんかできませんよ。彼らは私の人生の中で最も大切な期間を奪ったんです。その間、家族に会うことができず、家族の大切な時や大変な時に一緒にいてあげることもできず、大切な人を失うこともありました。当然許すことなんかできません。しかし、私は考えたんです。もし私が牢屋から出ても、彼らを許さずに憎んでいたら、私は自分の心をいつまでも彼らに縛りつけてしまうことになる。肉体が牢獄から出ても、心を牢獄に縛り付けたままにしてしまうことになる。そんな悔しいことがありますか?だから私は彼らを許すことにしたんです。そして、自分自身を本当に解放することにしたんです。そうしなければ、あまりにも悔しいじゃありませんか。」といったそうである。
その話を聞き、クリントンははじめて義父を許すことができたそうである。


この三つの話は、ときどき思い出しては、深く考えさせられるし、感じ入るものがある。
政治家としては、私はオバマさんは好きだし、ゴアは尊敬するけれど、クリントンは必ずしも釈然としない部分も感じるが、それらを超えて、この話は人生においてとても大切なことを教えてくれる気がする。