ツイッターで、ある神父さんが、
「ありのままの自分を受け入れるべきだと教える人に出会っても、それだけでは何も解決しません。ありのままの自分を受け入れてくれる人と出会ったとき、私たちは初めてありのままの自分を受け入れられるようになるのです。」
https://twitter.com/hiroshisj/status/420567787162316801
と述べているのを読んで、なるほどと思った。
ありのままで優しく愛してくれる存在を知って、はじめて人は優しくなれるのかもしれない。
今の世の中、それがとかく欠けがちな気がする。
キリストは長い歴史の中で世界のいろんな人にとって究極的なそういう存在だったのだと思う。
また、日本の歴史の中で言えば、阿弥陀如来が、そういった存在として求められていたのだと思う。
なかなか人の世にそれを求めるのは難しく、おそらくは今の世に限ったことではなくて、人間同士ではなかなかそのような愛を見つけることは難しいのかもしれない。
なので、キリストや阿弥陀仏のような存在は、なんらかの形で、必ず人にとって渇仰せざるを得ないし、支えとして究極的には必要な存在なのだと思う。